念水庵2

念水庵12月トップ画像

11月号(アーカイブ)へのリンク

目次No.は日付です。タップ(クリック)でその日の記事に飛びます。

12月から一日一記事

淡く輝く空と川

目次番号が日付であれば一ヶ月一ページとするので、いちいち日付を入れる手間が省けるという単純な発想。投稿ページにすればいいのにと思われるだろうが、そこが臍のまがった私の性分。

まあ、気長にお付き合い下さい。

昨晩京都に戻りました。京都はどこへ行くにも便利なとこで、実家からも比較的近いのでお気に入りです。いずれは滋賀の実家に帰るのですが、働けるうちは働くつもりで、京都の一軒家を居所にしております。

さて、水をテーマにこの絵日記(ブログ)をつけることにしたのですが、生成AIは便利なもので私の代わりに絵を描いてくれるわけですから、もう手放せない存在になってしまって、頭と気持ちの整理に大変役立っています。あとで消したり追加したりチェンジしたりと自由自在。

上の絵も19秒で描いてくれました。プロンプトは「もみの木と小さな池・・・」といった文章を入れただけです。ローカル環境で生成するという煩雑さをもう完全に捨てました。趣味になったのでは本末転倒じゃんと、自分は無駄なことを手抜きというか排除する方針です。

閑話休題:プロフィール

今までの自分とこれからの自分はどう変わっていくのだろう?
目的が明確であれば、方法はただの手段・道具に過ぎません。
人生シンプルが一番。
一白水星、O型、剣道、禅道、会社員、土木家のわたし、、、
自然造園が生きがいです。

昭和の歌の中でもっとも影響を受けた拓郎さんの神田川(南こうせつ)

吉田拓郎の「神田川」

「神田川」のタイトルでフォト生成した{銭湯(戦闘)帰りのルリ}↓

寒い夜、洗い髪、赤いマフラー、銭湯

自分ではお気に入りのTOPAZちゃん

夕暮れ時は淋しそう{わかるかな?

好きなアーチストのライブの様子

オリヴィア・ロドリゴ/drivers license (Live From Austin City Limits)
オリヴィアな夜@イメージ

よく見ると↑の絵写真の目の色、左右ちがう!納得”Hafu”

子鹿に角は似合わない…

バンビのアニメ画

わが草庵の山には、鹿やサルたちがいっぱい住んでます。とりわけサルが多くて人間が近づいても逃げようともしない。ところが鹿はすぐに逃げていってしまいます。春になればバンビが母のあとをついてく様子も見かけます。ディズニーのような世界がそこにはあります。

むかし花嫁さんは角隠しをかぶっておられました。結婚式が終わると角をあらわにいたします。ツンツン突いてくるわけですwたまったもんじゃないのですが、今となってはよき想い出です。

「A.R.E.」が今年の流行語大賞に輝きました。岡田さん、優勝よりも嬉しそうでした。いつになく饒舌でした。わたし的には「あこがれるのやめましょう」かな?と想像してただけに、タイガースフアンとしては喜ばしいかぎりです。なにせ日本一、かさねてお祝い申し上げます。

昨日から若いときを思い出して想いだしてばかり、年取ったんですね。昨日の神田川のフォトにコメントがついて「赤い手拭い…」と突っ込まれましたw,拓郎さんばりに赤マフラーにパーカー着せたのですが、赤手ぬぐいや赤タオル首に巻いたんじゃ、まるでオッサンジジイですからw。子鹿に角は似合わない。いやぁ、若いときは角も全くかわいいものです。

若いって素晴らしい(この歌知らん人がほとんどやろな)

槇みちる/若いってすばらしい

今日のお気に入り画像↓「しし神」ならぬ「しか神」Great deer
「人間には決して近づくな。しかと申し渡す。やつらは争いしか知らぬ。しかし希望はある。それは考えることができるから。たしか・・・」しか神さまのお言葉。

しか神(SDXL)

虹かかる麓は雨、山に雪、空の青

琵琶湖にかかる虹(絵に描いたような絵)

昨日はマキノに帰ってきました。全くの雨でした。山頂は白くなってました。例年なら雪になってても不思議でないので、暖冬かもしれません。

Tさんが掘ってくれた池の写真を撮ってきました。(曰くほんとに池作るとは思わなんだと)。あと、玄関のすっかり邪魔になった棚を解体して下さいました!

手前が池、中央がミニバックホー、右が草庵、上が山、池面に映るMBH(実写20231202)

池の水はあれからずいぶん澄んできて、池底がわかるようになりました。木の根や石が多く作業はたいへんだったと思います。池面に映る愛機ユンボちゃん、いい記念になりました。

雪に覆われる草庵の冬景色を生成してみました。

うちの庵は冬景色(イメージ)

自然造園のイメージはこんな景色です。紅葉やイチョウなど落葉樹を南側の道路際に配置して、冬の陽射しを敷地内に取り込みます。池面には薄っすらと氷が張って・・・

★紅白で一番聴きたいアーチスト「あいみょん」Not OKとか…

あいみょん/ノット・オーケー

あいみょんキレイになったね、歌も新しく古くて、古いものを踏襲しながら全く新しい。音楽はよくわからない私だが、イイものはイイんだから、それが感性ちゅう完成形。正月はゆっくり聞きたい「愛の花」たちを、、、

☆☆☆今日もっともシェアしたい動画☆☆☆

松原 惇子 孤独こそ最高の老後

孤独こそ最高の老後/本要約チャンネル

このブログを起こす動機となった一冊(これは秀逸です)

水のように生きる|自然造園

水五訓
1,自ら活動して他を動かすは水なり
2,障碍に遭いて激し、その勢力を百倍するは水なり
3,常に己れの進路を求めてやまざるは水なり
4,自ら潔うして他の汚濁を洗い、しかも清併せ容るるは水なり
5,洋々として大海を満たし、発しては雲となり、雨と変じ、凍っては玲瓏たる氷雪と化す。しかもその性を失わざるは水なり

http://web.agr.ehime-u.ac.jp/~water/index.htm(典拠不詳)
自然に生きる造園工事(完成イメージ)
冠雪や 腰の関節 いたい洒落

こういう画風が最近お気に入りですが、こんなのも好きでステガタイかつての稼ぎ頭ではありました。うほんっ(咳)失礼、脇が甘すぎる所以であります。水臭いじゃないの?っとばかりに出てきたAI美少女物語。煩悩即菩提。孫のように、ただ、かわいいだけです。水がテーマだけに水着にしようかと思いましたが、このほうが妖艶で不健康極まりないのであります。

現代の名曲は「アイドル」と言い切る、B3ジジイの今年ベスト・ヒット!ホームランやでホンマ。その証拠に世界に通用したというか、世界中のランキングトップに。音楽界の大谷翔平や!

アイドル/YOASOBI

これって、動画としても完璧なデキ、ラストのクレジットまで一気に何気に魅せまくる””

剣の道

昨日は播州赤穂でした。スタッドレスタイヤ交換が目的で2サイトも訪問しました。朝出がけから京都街なかの大渋滞に巻き込まれ、ノロノロ運転。しまった道を間違えたと大反省。帰りにはインターを通り過ぎるなど、自らの不注意に歯ぎしりしきり。誰のせいにもできません😂

怒りは諸刃の剣

木剣(ぼっけん)をご存知でしょうか?木刀は日本刀を模したものです。木剣は文字通り木の棒を剣として使うものの総称です。たとえば有名な「巌流島の決闘」で宮本武蔵が舟の櫂を(削って)使い、佐々木小次郎の長剣に打ち勝った、アレです。そこにあるもので戦うことと、相手に応じて戦うこと、使いやすいカタチで戦うこと、有利な状況で戦うこと。それが木剣の極意です。二刀流の武蔵がなぜ木剣一本で戦ったか?もっとも頷けた理由が意外性です。これは頭で考えては出てこない。土壇場に身を置き無心で、はっとひらめく、そういう究極の「上虚下実」つまり虚心坦懐な実力ではないでしょうか?

これには普段の不断の努力というか鍛錬が必須です。木剣の術は、一撃必殺を旨とした素振りの練習を愚直に続けることにつきます。江戸時代に武士たるもの刀を売っても修練はやめなかった。竹光を腰に差しながらも鍬の柄を木剣に見立て、襲ってくる熊や狼さえ一撃で倒す。しかも殺さない。そういう究極の護身術、いや剣術の腕を磨いてたのです。

わたしはホームセンターで買った鍬の柄を木剣として、毎日素振りします。地面に穴を掘って松杭を立て、これを打ち込む。薪割り剣法の鍛錬です。かの山岡鉄舟の剣術。現代のスポーツ剣道でも一撃必殺を具現化した競技です。私は若い頃は剣道をやりましたが、この年で剣道着に着替え防具をつけて練習する気になれません。普段着でビーサンで素振りします。

健康法というよりこれは私なりの禅です。剣禅一如。木剣道(ぼっけんどう)と名付けました。認知症対策にもなる「BKD.ぼけんど.」を提唱いたします{笑
木剣道については、後日項を改めて解説します。

坐禅石(ここに厚く敷物をひき座る)
練習こそ実力/レッスン
フラッシュダンス名曲名場面

練習しとらんもんが勝てるはずないんちゃうか?おん。。。

☆ケチるな食費のコーナー
1,納豆(スペルミンというタンパク質やビタミンB6・E・Kなど)毎日
2,サバ缶と鰹節(IPA・DHA)毎日
3,鶏もも肉(たんぱく質)ほぼ毎日
4,カツオのたたき(一週間に一回)
5,キノコ類(一週間の半分以上)
6,バナナ(ほぼ毎日一本)
7,ナッツ類(買い置きしてたまに)
ケチって病気になれば元も子もないという現実

禅の道

坐禅に取り組んでいる犬の漫画

犬はお座りが得意ですが、じつは人間も座ることが多い。座ってばかりいると身体がとくに下半身が急速に衰えていきます。そこでたまには立ち上がって歩くことを強くおすすめします。これは自分に言い聞かせていることなんですが、寒くなるとつい億劫になって出歩いたりしなくなります。人間は足から年を取るといわれますが、そういう姿を最近とみに多く見かけます。

高齢者が増えていることは間違いないですが、70歳を過ぎて寝たきり突入の方が増えているとのことです。とくに地方に多い、これは車社会の影響が多いと思います。都会では電車にせよ歩かざるを得ないから歩く人が多い。ところが若い人でもエスカレータを使う方がほとんど、私がビーサンで階段を上がるのをみて不思議がられるぐらいです。

急ぐなら階段のほうが速いのに並んで混み合って・・・訳分かりません。健康は何も特別なことをする必要はありません。健康の秘訣は「よく動く」「薬はなるべく飲まない」「頭を使う」「手を使う」だと思います。食べ物もさることながら、動かない人は早く老ける。このことは統計的にも科学的にも実証されていて、実感としても頷けます。

座というのはすわる場所、坐はすわるという意味の動詞です。ですから坐禅と書きます。それはともかく、犬や猫の坐禅をみていてもKAWAIIだけです。人間の坐禅は、行住坐臥のうちで最も安楽な姿勢といわれます。結跏趺坐を練習すれば1時間ぐらいは平気で坐れます。一日にたった5分でも良いから背筋を伸ばして坐る。そういう毎日のルーティンに歩く禅坐る禅を取り入れてみませんか?

禅のこころ|曹洞宗:智慧

蝉は禅の心を教えてくれる。虫偏に単で「蝉」、単に示すで「禅」。。。
歩くも立つも坐るも寝るも、全ては修行、全てが真理。自然こそ神。無為こそ自然。

アメリカン・ラット・テリアの坐禅(アイソメトリックアート)

もともとはネズミをとるらしい、小型犬。カワエエです。

・・・

公園の猫

今日は岐阜にてMTGですが夜は温泉、事実上の忘年会です。明日の投稿は帰宅してからの予定です。

日向ぼっこしてる近所の公園在住の猫(2023/12/06実写)

上の子は逃げようとしない、あと黒猫ちゃんは下のように私の前で寝た。

日向ぼっこしてる近所の公園在住の猫(2023/12/06実写)2
長靴を履かなかった猫

可愛い猫ちゃんと可愛い気のないネコやろう。どちらが怖いか?半生の反省の経験から言って、、、やめとこ。今日はいやらしいことは書かないことにします。

長靴を履いた猫を飼おうと思います。いずれマキノに帰った暁のはなしですが。。。

レジリエンス

老僧、老荘、老師、老子のイメージ

困難に立ち向かえ。水のように、火を消してしまえ。困難こそわが遊び。苦しかったら笑い、嬉しかったら泣き、感情を殺さずに、理性に流されず、観念の根を断ち切ることだ。そのために、ただ黙々とすべきことを行い、わきおこる激情を慰めること。自己を愛せよ、自己こそが頼り。他己を愛せよ、他己こそは鏡。鏡を磨く遊びを覚えなさい。こんな楽しいことはないのだから。

立体的切り絵:渡り鳥

立体的な切り絵という立体的切り口。世界は三次元だった。

春のような陽気、秋のような陰気

水辺に入る少女、意にし絵

昨日まで岐阜と名古屋でした。2つのサイト見学とオフサイトMTGがあり、下呂温泉で楽しい夜を過ごしました。いいお湯でした。また行きたくなる温泉でした。温まりました。日頃は接点の少ない方々との交流に、外見は相変わらず陽気に振る舞ってましたが、内心は比較的陰気で、毎日がこんなだと、おそらくストイックかつストレス溜まるんちがうか?と思う二日間でした。お疲れ様でした。

若い女性が半分を占めてて、それはそれで気分は悪くなかったのですが(むしろ緊張の連続)、ジェネレーションギャップは「ソレソレ・あるある感」は同世代間に限られるという現実でした。

なかでもとても懐かしかったのは「そだ棚」という調整池・沈殿池(濁水処理)を久しぶりに見学してたときに、同僚いわく「ソーダ水を飲んだそーだ…」。大昔のギャグに思わず吹き出しました。これ、おそらく、検索せんとわからんやろな?とか思いつつ。

そーだ村の村長さんは・・・ソーダ飲んで死んだそうだ・・・とか?苛性ソーダ?まあほとんどの人はわからんフレーズでしょうが、その同僚とは大笑い。ふと、おとぎ話の龍宮城から帰って玉手箱開けた途端に、じいさんになってた「浦島太郎」の物悲しさを感じました。時代を共に生きた仲間と感慨を共有することは、人生において最も「生きてる」を実感できる一時ではないでしょうか?

↓懐かしい雰囲気をAI絵にしてみました。レトロフューチャーというスタイルです。

モンローウォーク

今日も楽しくがんばってみよう~(ドリフの長さん風)


モンローウォーク:作詞:来生えつこ / 作曲:南佳孝 / 編曲:坂本龍一

今日の微笑女

こんな人がいたらという現実的妄想

おとぎ話的実話(パーティ券問題)

裏金づくりの森

検察は臨時国会明けの14日から(討ち入りの日?)、安倍派の5人衆を手始めに一斉に摘発を始めることだろう。告発を受けて先週から本格的な事情聴取により事件の全容が明らかになりつつある。今回はかなり悪質で20年以上前から、あり得ない手法で組織的な裏金づくりを行っていた。収入の不記載とキックバックの不記載、はたまたキックバックを受けていた方も不記載となれば、裏金工作でありこれはもう完全な犯罪である。ロッキードやリクルート事件を彷彿とさせる。完全アウト。

わたしがこんなところにチマチマと書かなくても、世間が今回は黙っちゃいないだろう。週明けには官房長官の更迭はもちろん、逮捕される代議士が出てくるのではないか?それとも会計責任者あたりのトカゲのしっぽ切りで済ますのか?興味津々の国民は少なくない。いずれにせよ大疑獄事件であることは間違いなく、いよいよ岸田政権の終焉が近づきつつある。

国民の多くが日常生活で憤懣やるかたない中、なんで国会議員は領収書すら必要のないのかといったベースがあるから、検察は百萬の味方をバックに思う存分はたらける。今やらなけりゃ、いつやるんだとばかりに働ける。安倍ちゃんのような重しはもうないから、足を引っ張るものはいない。自由に民主的に自民党をぶっつぶせる。チャンス到来とばかりに。

土壌という歴史・伝統、森林という組織・派閥、水流という名の資金・還元。文字通り「土と木と水」である。裏金づくりだけの森ではないのだが、腐った土壌や枯れ木は水を汚す。水をきれいなままに保ちたいのなら清掃や整理は必要だろう。いや、水は激流となって洗い流すだろう。ふだんは大人しい水だが、怒るときは大いに怒る。オコルのではなく、イカル大魔神なのだ。

それでも希望はある。

日本ブギウギ

♬楽しいお方も、悲しいお方も・・・♬、笠置シヅ子さんの「ラッパと娘」がかかる、NHK朝ドラ「ブギウギ」は「あまちゃん」以来の好作品だと思ってます。毎日泣かせてくれます。主演の趣里さんが笠置さんと重なって、、、混迷の時代の希望やね、ホンマ。

弟の戦死の報がもたらされた直後に歌った趣里さんの演技にただただ涙でした。(埋め込み不可)

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ブギの女王:笠置シヅ子さん

木剣道は、普段着の剣道💓

木剣道のイメージ

3DCGモデルに木刀を持たすのに悪戦苦闘一時間。ジャージならば変な妄想は抱かないであろうと極力シンプルにしたつもりでしたが、まつげが「ブギウギ」より目立つわで、まぁいっか、なんちゃって剣道みたいな感じです。イメージはともかく、このようなポーズこそAIがちゃんと働いてくれたらいいのに、こういうことはまだまだ下手糞なのが実情です。

本題にもどって、剣道を手軽にできないか?との命題に、木剣を使ったらどうか、何も相手を立てなくても一人で素振りするだけでええやんか、裸足の効果とか、骨の強化とか、メンタル面もあわせて、こんなに手軽で楽しいものは少ない。エクササイズというかワークアウト、あるいはフィットネスなんでもいいんやけど、単なる筋トレとかあんまし続かんのが実際で、何でやろ?が課題でした。

これ、一言でいうと「手の内」なんやね。虚実の一撃、必殺技です。ここであんまり話してしまうと、AREですが、熊に襲われたときに熊を倒す方法です。サルの集団に襲われてもサルが一発で逃げていく。悪いやつが襲いかかってきたときでも、怖くない。そういう護身術にもなる。鍛錬やと思っております。むかしの剣術修行。鍛錬。雪駄(ビーサン)で瞬間移動。一撃必殺・・・

いうなれば「普段着の剣道」です。木刀より強靭な木剣(単なる木の棒)は杖術と剣術の合せ技なんですが、非力な者(たとえば女性や子供や老人)でも確実に相手を倒せるという魅力と、身体面と精神面の充実にもってこいの道です。フィットネスの概念より広く深い「修道」かなぁ。まあ言葉より実践ですから、広く普及することより狭く究明したいと思っています。

(1)薪割り剣法は上段の構えから

一木庸玄 教士 八段の話(9)

冗談ではなく上段の構えですw。上段が有利なのは上の動画の1,2の話でおわかりでしょうが、この構えは中段(正眼の構え)に比べてじつに疲れやすい。両手の重みがもろに両肩にかかるわけです。ですから逆に鍛えられるんですね。この上段の構えだけを五分、十分とまるで坐禅のように取り組むのが、木剣道の最初の一歩です。ここ一番大事なとこで「構えで決まる」最初で最後の「肝」です。水の構え(正眼)に対して天の構え、火の構えともいわれる「上段の構え」をまずは身につけましょう。木剣道の基本は勝つ基本である「先々の先」ですから・・・

木剣道イメージ修正

剣士Aのイメージ更新しました!

木剣道の基本

普段着の剣道:木剣道(B.K.D)
  • 構えはすばやく上段に
  • 上段のまま動じない
  • 動くものに即応
  • 間合いは理合い
  • 理合いの有利を忘れる
  • ただ不動、ただ姿勢
  • 先々の先とは「無心」
  • 虚実を忘れること
  • 肩の力を抜けば抜くほど
  • 眼は閉じず開けず「半眼」
  • 技は手の内にあり
  • 術は足の裏にあり
  • ゆっくりと上段から中段そして下段へと素振りを行う
  • 構え、素振り、手の内、足の裏。
冗談の構え、面❣

ときたま、冗談飛ばすのも話法の術、熊には大きな声で真剣に怒鳴ると・・・
熊はなんと去っていく、人も去っていく、猫だけがポカンとしてる。
上の絵は禁じ手、AIはこんなのがお好き、今日の頭は狂ってる。
こんなときは、ひたすら上段の構え、火の構え・・・

上虚下実

あらヨット!近所のオッサンのヨットのイメ、陸にあがった河童ヨット笑

陸のヨットって、何なのか?いまだに不明です。
この話、わかるのはTさんぐらいやけど・・・
Tさん、いつも読んでくれてありがとうございます。
友だち付き合いも大変ですが、よろしくお願いいたします。

上段の構えについては、下記リンクが参考になります。

【上段の構えとは?】
上段の魅力について、徹底的に解説していきます。「火の構え」たる堂々たる立ち姿と、そこから繰り出される一振りの豪快さに魅了されている方も多いのではないでしょうか。

↓この動画は必見です。全剣道家に見せたい。

太田範士の箴言

我が意を得たり、ほととぎす笑

明鏡止水の境地

マキノ高原の川沼(イメージ)

こころを映す鏡は、ずばり景色である。
気色ばんで見えるときもあれば写真のように止まって見えるときもある。
対象が何も変わらなくても瞬間瞬間に時々刻々変わって見えることもある。
あらためて、昨日の太田範士の言葉を振り返ってみたい。

試合稽古をするな、掛かり稽古にしっかり取り組むように・・・
何より剣道家は威張るな、と強調されていた。
上段者に忖度して勝ってはダメという悪しき風潮は今も残っている。
不断の努力で百歳までがんばってみろと。

百は一に戻ることを意とする。
剣の心は禅の心、単に示す、剣一道。
素構えと素振りにつきる。
心構えと稽古と言い換えておこう。

明鏡止水の境地などと言葉に酔いしれてはならない。
ただ黙々と木剣を構え、ただ黙々と素振りする。
そこに理屈はいらない。
まるで禅の修行と同じではないか。

剣禅一如、修証一等

上段の構え(天の構え)

火の構え

中段の構え(正眼の構え)

水の構え

何の違いもないことにお気づきか?

昔ながらの居酒屋の巻

居酒屋イメ

昨日から湯郷温泉に泊まっています。ある事業候補地の視察と行政との相談が目的ですが、意外と早く終わったので夕方6時頃に湯に浸かり、ホテル近くの昔のお嬢さんがやってる居酒屋で軽く一杯引っ掛けました。ちょうど80になるとのことでしたが、手が震えていて、志村けんのお店のようでしたがw、それでも現役でがんばっておられる姿に、感銘を受けました。

さきに店に入っていた中年のお兄ちゃんと話がはずんで、ビール1本と焼酎一杯でほろ酔い加減で、部屋に戻ってこの記事を書いています。

店は相当古く、街自体の過疎を感じましたが、他に空いてる感がなかったので、まあいいや的に入ったお店でしたが、これが意外と楽しかったのは「話」のせいでしょう。雑談の連続でしたが、川崎からやってきたお兄ちゃんの人柄というか、親しみやすさで満腹となり満足しました。

客観的には「ご満悦」です。こういう旅の楽しみ、否、出張の余録があるから会社員はやめられません。「英気を養う」とはよく言ったものだと思います。


英気とは何か?もともとの気性もありますが、何かをやろうという元気というか、やる気の元みたいな感じですが、ワクワク感が一番ピッタリします。

湯郷温泉にいった記念:草ムラ温泉♪

夜寝る前に「今日もありがとう、明日もがんばろう」とやすらかな眠りに入れるかどうか。明日の朝には死んでいても不思議ではありません。それが生き物の宿命ですから。からこそ、今日を精一杯生きるのがエネルギーっちゅうもんです。鉄腕アトムでさえ、エネルギーが切れたら動かんようになる。そのエネルギーの核が、わたしはワクワクだと思ってます。エネルギーの湧く源、ワクワクです。

ただし、金は追いかけるものじゃない、貯め込むものじゃないという教訓となる「猫に金貨」の粘土細工を御覧ください。↓

裏金疑惑:猫に金貨

特捜部、今回は少しは本気出してくれるでしょうか?

昔ながらの漫画

富嶽一景(漫画)

富士には月見草がよく似合う?でしたか、富嶽百景という太宰治の小説があります。小説の中身は忘れましたが、このタイトルはよく覚えています。この捩りから学んで「一計」を案じたわけです。

連泊しました。昨晩は燥ぎ過ぎたかもしれません。にしてもここのお湯はいいです。ジワーと効いてきます。

犬種:コーイケルホンディエ、名前:デコピン

ドジャーズ大谷選手の入団会見が開かれた。さわやかで大スターの貫禄十分だった。そして愛犬の名前が「デコピン」とわかった。明るいニュースだ。今週はパー券などの裏金疑惑など嫌なニュースが多かっただけに、うれしくなってデコピンちゃんの画像を生成してみた。似てないが大谷さんの男前とかぶってみえた。背景をドジャーブルーにしようかと思ったが、そこまで拘る必要はない、だろう。

ドジャーズといえば、野茂投手のトルネード投法を思い出す。来年はワールドSで優勝を目標に、夢を叶えてほしいものだ。「(優勝に)欠かせなかった存在といわれたい」泣かせてくれる一言だ。挑戦を忘れない現代の大スター。エンゼルス6年間の感謝の言葉に、胸が詰まった。人格・能力ともに超一流の彼がますます大きくなっていく。一フアンとして、どうか身体に気をつけて頂きたい。

最後の一葉

レンガの壁にツタが茂る

オー・ヘンリーの短編に「最後の一葉」があります。たしか学校の図書室で読んだ記憶が残っていてネットで検索してみました。単純ですが子供のように泣けてきて、しかも元気の出る話でした。何かを残すということ、最後に自分にできることを照れながら命をかけて描く馬鹿な老人と、主人公の若い娘たちの友情、気の持ちようひとつと言ってしまえば、ハイそれま~で~よ。

蔦の葉というのは、地をはい、木にからみつき、壁をおおい、生命力のつよい植物です。じつはヒツジの大好物。まあ冬になれば枯れそうですが、なかなかどうして枯れません。最後の一枚どころか翌年新芽が出るまで生き残る葉っぱのなんと多いことか。これは街なかでもよく見かけます。

♪つたの~からま~るチャペ~ルでいのり~をささ~げた日、夢多かりしあの頃の想い出を辿れば…。ペギー葉山さんが歌ったあの歌、秋の日の図書館のノートとインクの匂い、いやー昔の歌はいいですね。今の歌もいいけれど、昔の歌には何ていうか、そうノスタルジーなんですよね結局。

ペギー葉山さん:学生時代

↓テイラースウィフトの「ユア・ルージング・ミー」のような曲も好きですが、なにか?

You are Losing me/Taylor Swift
舞妓はん:失敗作

なにか違和感ありありだと思ったら、右手の不始末でした。お顔が素敵でしたのでこれはこれでエエやんか、と自虐ながら自己満であります。今日は昨日までの岡山出張で(湯疲れ)移動疲れもあって、何もする気が起きません。まあ、こんなときはAI生成で気を紛らわせるという密かな楽しみ、理想の女性はAIちゃんというわけです。変な気にならんから、気晴らしにはもってこいです。

剣一道という言葉に酔ってます。剣は竹刀でも木刀でも木剣でもただの棒切れでも何でもいいんです。とにかく素振り。何もなければ両手だけの素振りでも。構えあって構えなし。武蔵じゃないが一道に秀でるものは、何をやってもやらせても上手い。とにかく剣一道(けんいちどう)、剣一筋ではないんです。一筋縄でいかないのが人生というものでございましょう。ひとみち。奥の細道。

悲しき鉄道員

サイバーパンクな農村

サイケという言葉は、いまや死語になりつつあるように思う。若い頃はよく呑み過ぎで二日酔いになった。サイケデリックな視線で「太陽が黄色く見える」現象も体験した。青い屋根が赤く見え、朝や夕方でもないのに空が茜色に見えたりもした。黒いものを白いと断言し、白いものを黒だと吐き捨てた。思想は人を見失う。そこにわずかばかりの水があって、ただ鏡のように陰を映す。

わたしが水に拘る理由がここにある。水が尊いなどと曰うつもりはサラサラない。昨日一日の退廃は洗濯だけで終わったことに象徴される。この洗濯に使う水のように、有って当たり前、無くては困るもののひとつだからかもしれない。否、それ以上にわたしの人生に深く関わってきているくせ、目立たない存在だからだ。むかし「キチガイ水」と呼び、いま使ってならない言葉だが、あえて使う。酒のこと。

「酒よ」吉幾三をよく歌ったものだ。あの方はほとんどお酒を呑まないらしい。だが酒呑みの気持ちを痛いほど表現されてて息の長いシンガーソングライターだ。根っからやさしい人なんだろうな、と思う。歌手として一番つらかったときに励まし続けてくれたと、泣きながら語った小林幸子の話を知っているからかもしれない。「酒と涙と男と女」誰だっけ?ど忘れが多くなった。涙も水。

ふと思い出すこともある。「悲しき鉄道員」というフレーズが頭に浮かんだ。悲しき…に続く言葉の代表格なのはなぜか?姉のレコードを借りた最初の曲だからだろう。日本人はこんな感じの曲がむかしから好きな傾向にある。歌は世につれ世は人につれ、わたしにとってショッキングなブルーはいつも水だった。「水よ」いつか、そんな作品をつくってみたい。

悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー

AIがつくった動画↓クリックでスタート、クリックでストップ。エロい❣

アラビアンなブルーウェーブ

裸足の剣

愛剣は杖にもなるハンマーの柄を加工したやつ(実写)

部屋の隅に置いてある木剣は、わが愛犬ならぬ愛剣だ。ホームセンターにある1,000円ぐらいの樫の柄に錐で穴を開け、両端にゴムキャップ(これもホームセンターで買った)をつけただけの護身用杖。この夏、膝を痛めた時に新幹線の中でも、街なかでもこれを携えていた。いまは膝の痛みも取れたが、あいかわらずこれで素振りをしている。素振りのみならず、片手で身体を支えながら片足ずつ前後に振る。これは足の素振り。手足の素振りは、身体のバランスを保ち、心身の鍛錬に格好の法なのだ。

きょうも駅までの往復30分を裸足にビーサンで出かけた。寒くないの?とよくいわれるが、すこしも寒くない。坊主は修行中、儀式以外は裸足で過ごす。わたしは一生修行だとこだわっているので、部屋の中でも外でも原則裸足だ。「はだしの元気」といってるが、効果は実証されている。じっさい、じっとしていれば寒いだろうが、寝てるとき以外じっとしてる暇がない。ので、健康的なんだろう。

剣一道、剣の道。呼び方はどうでもいいが、ふつうの剣道とは明らかに違う。なにしろ試合に勝つことや段位を取るための剣道とは、目的もココロザシも全然ことなる。チャンバラとも違う。何度もいうようで恐縮だが、突然熊が表れたら、暴漢に囲まれても、さっさと退治できる薪割り剣法だ。イノシシが突進してきても一撃で倒す。これは口で言うのは簡単だが、並大抵のことではない。

身体と剣がひとつになる。これが素振りの目的であり全て。野球選手がキャッチボールやバットの素振りを大事にする理由と同じ。ふつうにやれば勝てると岡田さんがいったとおり。何も華麗に取ったり投げたり、ファインプレイなんて考える必要はない。素振りを毎日100回やるだけで、身体でおぼえる。いや、からだが覚える。手の内、足の裏。こつはない。コツコツ地道にやるだけ。

雪景色に一変する琵琶湖の西北われらの田舎、マキノの茜空

Tさん、田舎の小屋の年末大掃除やカーテンの取付などありがとうございました。
いつも感謝しています。正月には牛シャブでいっぱい飲んで下さい。

剣術

武蔵の剣、昔の術(イメージ)

昔、剣の道は一般に剣術といった。剣術とは…「剣術は戦闘術で剣道は武道・スポーツ。 剣術はどこを攻撃しても構わないが、剣道は面、胴、小手、喉のみの攻撃」といった説明が多い。この解釈に異存はないものの、ちと違和感がある。それは術を戦闘術の意に限定してしまっているからだ。死ぬか生きるかという文字通り「真剣勝負」ではあるが、「生きる術(すべ)」としての剣術に重きを置きたい。

真剣と本気の違いは何かと問うたことがある。本気には楽しむ要素が多い。に対して「真剣」には間違いが許されないといった「はかなさ」が漂う。所詮、本気にはどこか嘘くさいところがあって、子供が本気で遊んでいるとはいわない。子供は真剣に遊んでいるのだ。それが仕事だから。大人はいつも本気出せよ、真剣にやれよとか平気で減らず口をたたく。自分がやれば?となる。

よらば大樹の陰、みんなで渡ればこわくない。今頃になって自民党や派閥のいい加減さを糾弾する向きが多くなったが、そんなことはもっと前からいわれていたのだ。悔しかったら政権とりなさい。真剣に向き合えば自ずと解決する。本気でがんばってるように見えて、その実たいしたことしてない。それが結果に現れる。あいての首をはねる覚悟なくして、首は取れない。

寄らば斬るぞ。ど真剣に斬るのである。一歩でも近づいたらすかさず斬る。そういう構えだ。気構えとか心構えとか、そんな生易しいこと抜かしている場合ではない。いつも真剣を腰に差して、つまり敵(=自己)を殺すことを前提に、木刀や木剣で鍛錬を続ける日々。剣は何も剣術の剣に限ったことではない。おのれの使命を剣というのだ。宮本武蔵の五輪書「水の巻」は最後にこう結んでいる。

「千日の稽古を鍛とし、萬日の稽古を錬とす」

↓音声読み上げ「音読さん」使用

歌を歌うことも「確かなこと」だろう。↓感動させる歌だ。

確かなこと/Covered by WAKANA

健康の極意はバランス

片足立ちの稽古

目を瞑って30秒間片足で立てますか?
「片足立ち」はもっとも手軽な脳と身体の健康法です。上のイラストのように水の上に立つようなイメージを持つと良いです。まずは目をあけて、片足をあげてみましょう。健康のバロメータでもあります。左右前後上下のバランスがとれていると、めきめき健康になり、若返るのを実感できます。

ちょうどいい動画がありますので以下に紹介いたします。

80歳でも脳が老化しない人がやっていること/西 剛志 著

円相

琵琶湖百景:奥琵琶湖

山に太陽を描いて、先生から「子どもの絵」といわれたことがあります。そのとき少年は口惜しい思いをしました。なぜか無性にくやしく反論できなかったのですが、以来わざと山にお日様を描くようにしたんです。コンパスをつかって、まんまるの太陽をバカでかく。すると今度はほめられ賞をもらいました。大人というものは、わけがわからんと妙にうれしかったものです。

絵に描いた餅を画餅(がべい)といいます。墨で円を書く、禅宗などでよく見かけるアレです。円相とかっこつけてますが、画餅に過ぎません。ところがいざ書くとなるとこれがなかなかうまくいきません。AIならば意外と上手に書くのかもしれませんが、その方法さえ意外と難しいものです。いずれここに上げてみたいとは思いますが、余程ひまなときにチャレンジングです。

この絵日記(絵ログ)の隠れた目的のひとつに、脳の健康があります。キーボードをたたくだけで心地よいのです。わたしのはタイプライターのようにカタカタと音を立てます。それはもう無意識になってますが、創作意欲をかきたてます。マウスボールも愛用品です。旅先ではノートにてパッドオンリーでして、これも脳の鍛錬にはもってこいなのです。

昨日の動画「80歳でも脳が…」を御覧いただいたかもしれませんが、AIなどのツールを使って、なにか新しいことにチャレンジするのは、単に楽しいのみならず脳健康に効果があることはありがたいことです。能天気ですが、人生暴れん坊。将軍でなくっても次から次と、一貫性なく思いつくまま気の向くまま、やりたいと思ったことを「やる」。それができる自由と平和そして努力が幸せです。

イコライザーのロバート・マッコール:デンゼル・ワシントン/好きな俳優

ロバートのように生きたい。いざというときのために日頃の修練をかかさない。ふつうに仕事して、ふつうに遊び、修道者のように慎み、にこやかに優しく…。吾も、、、かくありたい。

独行道(宮本武蔵)

一、世々の道をそむく事なし。
一、身にたのしみをたくまず。
一、よろづに依怙の心なし。
一、身をあさく思、世をふかく思ふ。
一、一生の間よくしん(欲心)思はず。
一、我事におゐて後悔をせず。
一、善悪に他をねたむ心なし。
一、いづれの道にも、わかれをかなしまず。
一、自他共にうらみかこつ心なし。
一、れんぼ(恋慕)の道思ひよるこゝろなし。
一、物毎にすき(数寄)このむ事なし。
一、私宅におゐてのぞむ心なし。
一、身ひとつに美食をこのまず。
一、末末代物なる古き道具所持せず。
一、わが身にいたり物いみする事なし。
一、兵具は各(格)別、よ(余)の道具たしなまず。
一、道におゐては、死をいとはず思う。
一、老身に財宝所領もちゆる心なし。
一、仏神は貴し、仏神をたのまず。
一、身を捨ても名利はすてず。
一、常に兵法の道をはなれず。

正保弐年
  五月十二日 新免武蔵
         玄信(在判)

五輪書 わが道をひらく:前田信弘 著より引用

武蔵は、最晩年の書である五輪書を書き上げ、独行道(どっこうどう)を著した7日後の5月19日に没した。享年64歳。戒名、二天道楽居士。
欲と衒いをすて、あるがままに生き、あるがままに死す。まさに剣の道を歩んだ生涯であった。

↓この方も♪ありの~ままで~♪と歌ってました笑

ありの~ままで~:アナ雪「氷の女王」エルサ

冷たく厳しい人のようで温かく優しい人。かな?

書画

武蔵の晩年は、剣の奥義を伝えるとともに書画においても優れた作品を遺されています。
一理に達すれば万法に通ず(五輪書:宮本武蔵)
まことに一事をこととせざれば、一智に達することなし(永平寺:道元禅師)
事程左様に、ひとつの道をきわめた者は、またべつの道でも極められるのでしょう。

武蔵に触発されて以下のような絵(AI生成)を描きたいとおもっております。いずれiPadでも描いてみたく、その節はここを練習場に致します。なにごとも修練ですから^^

水墨画「梅」ちゃん

あのね、iPadを新しく買いました。「Zen Brush」というアプリをつかうためです。こんなに簡単に描けるとなると、もう筆を洗う必要もなく、まわりを汚すことも、紙を買う必要もなくて、便利な世の中になりました。好きな音楽をいつでも聴けて、聴きながら描いたり、素振りしたり、と幸せを実感する毎日です。いままでの人生で今が一番しあわせ、です。

「性格」を変えることはほとんどできないが「環境」を変えることはいつでもできる。
誰かがむかし言ってたことは正解でした。環境に自分を合わせるより、自分を活かす環境を選ぶ。
トットちゃんは教えてくれました。
あのね、本当にいやだったら、とっとと、出ていくことです。これは家出ではなく出家なんです。

12月8日(金)公開 映画「窓ぎわのトットちゃん」主題歌「あのね」Music Video

クリスマス涙

くりすまイブイブ

この記事、じつは12/22の朝に書いてます。夜は姫路で職場の友人とサシで忘年会の予定です。朝のニュースで雪国の様子が流れていました。小学生の女の子が防寒着つけないで泣いていました。思わず子供のころを想いだしてもらい泣き。「そやから言うたやろ、寒いて」。子供は風の子。寒くないのですが、みんなジャンバー着てるのに自分だけ着てなかった、それだけで悔しくて、泣けたのです。

誰にだって、つらいことはいっぱいあります。家が貧乏なのはぜんぜん気にも苦にもなりませんでしたが、子供ながらに、近所の大人が親の悪口を言うてるのを聞くのが、一番つらかった。

だから家でも学校でも、つとめて明るく振る舞った。ダジャレばっか飛ばして、笑いを求めていた。受けようとか、そんな魂胆は元々なかった。暗くなるのが怖かっただけです。

ねこが大好きで、わたし目がけて飛んでくる「ハッピー」通称P子(三毛猫)を夢にみた。なぜか白猫になってた。ねこは猫好きをよく知っています。わたしは猫可愛がりでして、よその猫はどうでもよくて、ただ捨て猫とか、なつく猫とか、わが家のねこにはメロメロです。今、ねこが欲しくてしょうがないのですが、出張が多い身には無理です。だから猫の絵を専門にしようと思っております。

三毛猫テンテン

足さばき

印象派的な「雪道」

クリスマスの想い出は、故郷へ帰ったときの雪道です。車は立たず、駅からの道を足跡に沿って歩いたことが目に浮かびます。外は寒いのですが、汗びっしょりになります。足腰の鍛錬にはなるのですが、バランスというかよろけながら、それでも歩くしかないときは、ただ歩くほかありません。途中で休むことは許されません。いっぺんに風邪引いてしまいます。

家に帰ると子どもたちが待ってましたとばかり玄関でお出迎え。プレゼントを渡した途端にそれぞれの世界に戻っていきます。昔を懐かしむようでは情けないですが、あの頃はあの頃で楽しかったわけです。それぞれの時にそれぞれ空があって、そこからまた情景が一場面ずつ移り変わっていきます。

最近、左足の付け根に違和感があって、自分なりの自己指圧療法を施すと、いったんはケロッと治ったかに思いますと、しばらくしてまたぞろ違和感を感じます。椅子から立ち上がるときなどに強く感じます。腰掛け方の問題なのですが、これは癖になっているので、改めなければと思います。それはともかく、歩き方を変えたせいかもしれません。足裏の拇指球あたりで蹴り出すようにして歩くのです。

足首を柔軟にしつつ早足をこころがけています。ちょっと息弾むぐらいのウォーキングが体に良いときいてからです。足首もそうですが、手首もそうです。首というのは付け根で、ここが道筋や太刀筋といった剣の道で学んだコツと言えば骨かもしれません。関節ですね。足さばき、手さばき、腰さばき。とくに足さばきは、趾と踵ですね。足の裏にすべてかかっているように思っています。

【剣道】一拍子の面打ち

キックボード

キックボードで公道を走ってよいか?

いつも歩き専門のわたしにとって、たまに少年がキックボードで走ってるのをみて羨ましくかんじることがあります。めちゃ速い。危なくないか?自転車より軽くて場所をとらないかも?。今年の7月1日から電動であれば原付免許で乗っていいことになったそうです。手軽な電動機付き自転車。もう少し若ければきっと買っていたことでしょう。

このキックボードというやつは理にかなっていて、左足で蹴り出すと前に進むわけです。これを歩きに応用したのが「キックウォーク」蹴り歩きです。背筋を伸ばして身体を少し前に倒しつつ左足の拇指球あたりで蹴るように歩くと。楽に早歩きができます。手を前に突き出すと、ふつうに手で押したときの数倍もの力が出ます。相手を突き飛ばすときの技でもあります。

なにも格闘技を想定しているわけではありませんが、剣道でも同じで左足で蹴り出すと同時に手が上がりそのまま太刀筋どおり振り下ろすと、強い打突ができます。昨日の動画はそれを示しています。キックボードのボード方向のように、直線上に力がはたらくので無駄な方向に力が入りません。変化にも機敏に対応できます。やってみるとわかるのですが、右足は意識しなくてもすっと前に出ていきます。

キックボードのように歩く。これは軽快な歩き方です。上虚下実な歩き方です。お試しあれ。

↓何の脈略もありませんが、たまたま「美空ひばり」さんの「恋人よ」がありましたのでUPいたします。申し訳ないが「五輪真弓」さんのより情感がこもってて自分的にはエエおもてます。

恋人よ/美空ひばりカバー(五輪真弓)

前言撤回。やっぱ本家「恋人よ」もエエです。原曲に忠実で湧き上がる感情を抑えてて。

五輪真弓の恋人よ

↑は、もういっぺん聴きたくなりました、です。

一眼二足三胆四力

にらめっこ

柳生宗矩の言葉だそうです。剣道家なら誰もが知ってるのかと思います。この二足については、二足の草鞋とか、二の足を踏むといった負のイメージがあるのですが、それはともかく、眼のつぎに重要だということを強調しておきたいと思います。剣道は基本すり足なのですが、真剣勝負ではそんなこと言ってられません。ふつうに歩き、ふつうに駆け抜けるわけです。

日常と非日常を分けない。生活の上ですり足で歩く者はいません。平常心というのはいざという時にもフツウでいられる神経で、鈍感力ともちがい、戦うときにだけすり足というのはいかがなものかと、かの武蔵はいうとります。ここは同感でして例えば上の顔絵とにらめっこしてご覧なさい。なにか違和感を感じたり眼をそむけようなら、その瞬間に負けです。

こころを動かさないでいる。これは修練を積まないと無理なことです。ど素人が剣道で勝てることはまずないんです。柔道とか他のスポーツではありありですが、剣道ではみたことありません。中段で構えていると突進してきた相手を打ったり突さしたりする。それで打突というわけです。なぜ一瞬一撃で倒すことができるかって?それは「先」ということを教えられているからです。

剣をもたない剣道はありません。試合で竹刀を落としたら反則、2回で一本取られます。剣をもって先を制するのが剣道の最初の一歩。毎日素振りや掛かり稽古をするのはそのためです。眼は口ほどにものを言うと世間でもいいます。目で見るのではなくして、眼で観る。武蔵や柳生の時代から現代までも通じる基本は「眼・足・胆・力」です。勝つための軸と申しておきましょう。

自分に喝ッ!

大そうじ

今年の暮れは暖かくなるとの予想です。暮も近づく六十九夜、大そうじをやりかけたのです。ところが、目にとまるものがあると、ふと考え込んでしまいます。さて、これはどうしたものか?捨てよか、それとも?と手が止まってしまいます。なかなかはかどりません。こういう現象を老人症候群とでも呼びましょう。いやはや情けない。

青ブタ症候群ってご存知ですか?「青春ブタ野郎」というアニメにどっぷり浸かった状態でそこから抜け出せないでいる状態を指す造語です。この漫画とてもよくできていて、12/1に映画が封切りになってるのでご覧になった方も多いのではないかと思いますが、とにかく会話が新鮮です。リアルを絵に描いたような展開で目が離せません。現代の若者たちの気持ちがすっと入ってきます。

年代は変わっても、いつの時代も「若き悩み」は絵になります。感情移入できるわけです。自分がまるで学生に戻っているかのような錯覚に陥ります。現実は「片づけと掃除」が待ってるのにもかかわらず、手を止めてでも見たくなる。困ったものです。

で、青春はわかるのですが、ブタ野郎ってどういう意味やねんと、読んでみたくなった動機が、じつは「この野郎」と「豚まん」でして、関東では肉まん関西では豚まんといわれてました。ところが最近はどこでも「肉まん」ですね。ブタという響きはどこか差別的な匂いがするからでしょうか?そう思っているときに、「青春ブタ野郎」ですよ。このタイトルだけで私には大ウケだったんです。

いきなり先輩!

上記のショッキング・レッド&ブラックは芸術か?猥褻か?フツウか?
AIはときたま暴走しますが、にしても別嬪さんだったので、他のサイトにはUPしたくないので、ここでだけ開陳いたします。まあ、憧れの先輩がお仕事とはいえ、モデルとはいえ、こういう姿をひと目に晒している事自体が、ひと目で気に入ってしまった症候群であります。(よっぱらい談)

山には土と木と水がある

冬山

初日の出を拝みにいこうと山を登ったときがある。遠い日のことだが、冬山には悲しい想い出が多い。知人の息子さん夫婦が遭難したり、わたしも遭難しかけたのだ。二度と冬山には登らないと誓ったが今でも山には深い思いがある。岩も砂も粘土も学問的には土だ。土質工学というが、もとは全て山であって火山はもとより堆積や隆起の違いはあれ、全て山には違いない。

その山に植物が根付く。木という字をみていると面白いが、土から上に突き出ている。木には水分が必要なのだが、岩肌に松の木が育つ場合もある。わずかな水と土で育つ。水と木の字は似ている。土と木と水。この日記のメインテーマである。

仏教で四大は「地・水・火・風」とされている。この世は四大でできている。身体に例えると「足・腹・胸・頭」だろうか。山から太陽が出てきて見えるだけなのだが、日は火で、すべてを照らしあまねく熱を与えている。土と木と水は火と相まって風を起こす。それが命であり息というものだろう。いや人間の考えすぎかもしれないが、じつに不思議な世界であり、不可解な人間というものよ。

初日の出:正月投稿用(同じプロンプト使用)

一番大事なこと

年の瀬市場

年の瀬や水の流れ人の身は あした待たるるその宝船(宝井其角、大高源吾)
いわずとしれた忠臣蔵討ち入り前日の二人の連句です。いよいよ大晦日が近づき、慌しい気持ちでこの日記をつけています。ことしも大過なく一年を終えようとしています。有り難いことであるとしみじみ思っております。人生、いつ果てようとて何の不思議もありません。

身の健康。最高の保険は、身体にお金をかけることだと思います。病気になれば一番お金がかかるわけですから合理的な考え方であろうと思います。人間の宝物は自分自身でありましょう。若い頃は家族のために、会社のために、〇〇のために「一所懸命」でいいでしょう。いやそうあるべきです。しかし、人生の後半はむしろ自分のために生きるべきではないでしょうか。

水の流れは時の流れと読み替え、人の身を人様(たにん)ではなく貴様(おのれ)自身と言い換えると、いちばん大事なことが見えてまいります。自分の為すべきことであります。成すことはできなくても、淡々と為すことを為す。無為とは何もしないことではありません。特別な何かを策を弄して事を起こすことでもないでしょう。宝船とは普段の何気ない幸せかと、そう思っています。

そこでおすすめするエクササイズ。立ち上がって、右手をがっしりした壁か机でささえて、左手で左足首をつかみ膝を曲げたまま前後に10回振ります。これ医療トレーナーから聞いた骨盤矯正法です。反対側も10回やります。普通の足振り運動ではありません。最新研究の成果です。即、よくなります。いろいろと健康法試しましたが、これは最強最速最オシです。私の場合です。

10回足振り/膝を曲げるとこが大事

大晦日

古里

団塊の世代が後期高齢者となっている。空き家がめだって多くなった。田舎は超過疎化社会。いずれはわたしたちも老人と呼ばれるようになる。若い人が少ない。子どもはもっと少ない。少子化対策?そんなものは掛け声だけで終わるだろう。結婚しない人が4人に一人、3人に一人と割合が増えて、離婚も増えている。当たり前だろう。お金がかかるし、何よりめんどくさいからだ。

政治には期待できない。政治は選挙。選挙制度を抜本的に変えるべきだが、だれもできないだろう。アホやから。未だにポスター貼って、選挙カーで喚呼し、投票所へ行って紙に書いて投票。選挙にお金がかかるのであって、政治にお金がかかるはずはない。若い人にはテレビも新聞もない。ネットで完結することはネットでやればいいのに、と本当に腹立たしく思っている。

故郷は遠きに在りて想うもの…室生犀星の有名な詩がある。若い頃はその深い意味がわからなかった。落ちぶれた人が帰るところなくて云々といった感傷的な詩ぐらいに思っていた。ところが犀星はこの詩を故郷の金沢で書いたのだ。故郷は遠きにありて想うもの、帰るところじゃないと。東京で乞食をしていても構わない。故郷での悲しき日々を歌っていたのだ。

人生は死んでから始まる。振り返るのはもうよそう。昔を懐かしんでいる暇はない。今は明日を思い、今日なすべきことをなす。為念。為さざれば、死んでも死ねん。

わたしが一番好きなあいみょんの歌↓(よう歌えんけどね)「裸の心」

あいみょんー裸の心

Amazon MusicでBGMに、あいみょんメドレー流してます。これ作業はかどるわけです。飽きがこないバリエーションがわたしにちょうどええのです。ま、わたしだけでしょうが。

というわけで、このブログは明日から新年号「念水庵3」に移ります。
ありがとうございました。来年もよろしくです。

・・・

ではまた明日(来年)っ!


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