討ち入り前夜に大高源吾と其角が「年の瀬や水の流れと人の身は」「あした待たるる其の宝船」と問答したのは史実か?という質問に対して、レファレンス事例で以下のような回答が載っていた。
『なぞ解き忠臣蔵』(祖田浩一著、東京堂出版、1998)に
「大高源吾が討ち入りの前日に、宝井其角に会ったというのは本当か」という項目があり、
「源吾は…江戸で其角に近づいたり、教えを受けた事実はなく、両国橋での話も事実ではない。
為永春水の『伊呂波文庫』による虚構あたりが、出どころのようだ」と書かれている。
どうでもいいことの見本のような話だが、気になってググってみた。
知識というのは余計なことまで頭の隅っこに置いてある。
本質的に「水の流れと人の身」のほうが重要であることはわかりきっている。
水の流れは、人にとって最重要なことの一つなのだ。
蛇口をひねれば水が出ることを当たり前だと思っている日本人。
こんな有り難い国はそうそうないことを知っておくべきだ。
現にウチでも最初、とにかく水をどうするかだった。
飲水しかり、洗い水ひとつ、水洗トイレ、湯沸かし器の水の圧力・・・
この写真のように、小さな滝の流れと水音が心を鎮める。
すずめの声や水音が響く空間が心身に及ぼす影響は計り知れない。
自然の中でシンプルに生きていく、自由気ままな余生を送りたい。
これほどの贅沢、三昧はない。
私にとって。
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