念仏なら念仏、坐禅なら坐禅。
これを続けられたら持続可能となる。
変化に対応したものだけが生き残るといった甘言につられては本末転倒になるだろう。
持続不可能なのだ。
なんでこんなことを急に言い出すのかというと、
昨日ネット仲間のとあるご住職から粋な言葉を聞いたからだ。
いわく「消滅予定都市」に住むお互い云々。
消滅可能性都市、限界集落といった曖昧な概念をズバッと切り捨てている。
もとよりわが「念水庵」は消滅予定集落にある後継者や寺族さえいない。
「持続不可能寺院」
にもならない単なる隠居の庵(いおり)に過ぎない。
いや庵というよりただの粗末な小屋である。
それでも屋敷内には立派な「坐禅堂」があるのだから誰かに使っていただきたい。
と、ひそかにおもっている。
坐禅をやっているから禅宗と呼ばれた。
ただそれだけだが、ただそれだけが持続の可能性だ。
持続するかどうかは、これからの活動次第。
理屈ではない。
実行だ。
未来の想い出として、、、
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