念水庵4

念水庵2月TOP画像|梅

ようこそ、参禅堂の念水庵へ。
このウェブページは、念水庵のオフィシャルサイトです。
毎月1ページ、ほぼ毎日追加更新のアクティブでラフなホームページとなってます。

2024/3/1からはこちらへ

念水庵はもっかのところ小さな参禅堂の建築を目指しております。
ともにすわる」を合言葉に仲間と準備を進めています。

(更新していれば)今日も元気です^^
今後とも末永くよろしくお願いいたします。

いまのこころは、
念水庵(水)

※広告などは一切ありませんが、リンク先は自己責任でお願いします。

念水庵1(令和5年11月号)

念水庵2(令和5年12月号)

念水庵3(令和6年1月号)

2月1日は旧正月?!

梅林のイメージ

「旧正月」なんて言い方は今の日本ではほとんど使いませんね。
わたしの子供の頃は、母の実家では旧正月といって2/1に実際お正月してました。
現在はもちろんそんな風習は廃れたと思います。
近年、年賀ハガキを出すこともほとんどなくなっています。

この半世紀でずいぶん変わったものだと実感してます。
10年一昔と以前はいいましたが、今では去年が一昔なのかもしれません。
10年前は大昔。
スピード感が半端ない今日この頃です。

2/2(金)もう週末だ~

梅の花

「なりきり書道」という隷書専門ウエブアプリサイト

なりきり書道
書家の青柳衡山先生揮毫の文字と自作落款で書家気分が楽しめるWeb書道アプリ

今朝まで必死になってノートPCの充電ケーブルを探してました。
困ったときの友人頼み、マキノの家の中にあるとの確信をもって探しに行って頂きました。
ありました。
情けない人間になりました。
最近モノ忘れ、置き忘れ、名前忘れ、などなど。

わたしだけの症状かと思い聞いてみましたら、年相応にたいていそうだとのことでした。
ほんとに「安心して良いのかどうか」わかりませんが、ひとまず安堵と感謝です。
Tさん、本当にありがとうございます。

このブログも最近手抜きが多いというか少々面倒になってきました。
連絡掲示板みたいに使っていこうと思います。
ちょっとコマシに書いている「note」の方も連続投稿記録だけがモチベーションになってます。

しかし、ここをメモ代わりでは勿体ないので「力作?」をアップします。

プルーム:水彩

梅の木も植えたいと思いました。もみじ、イチョウ、睡蓮・・・

2/3(土)お祝いの食事会

2/2正午ごろ撮影/Tさん撮影

念水庵の雪もずいぶん解けてきました。うっすら(数センチ)とのことでした。
池に生物反応は少ないですが、春になれば・・・イモリだけでなく・・・

今日は子どもたちに会って、食事の前に「ごちそう写メ」を撮って、と予定してますが、それはブログネタに譲るとして、ここでは本音を話そうと思います。

「参禅堂の念水庵」というキャッチコピーを昨日noteのおしまいに書き込んだとき、このフレーズって「〇〇堂の〇〇餡」じゃんと率直におもいました。アンコじゃねえよって自分で自分にツッコミながら、ン、コレごろがええやんか、ン、いけるね。って思ったという次第です。

いずれ、広告料をかけてでも人が来るようにします。なぜか?それは、わたしが出来るんだから、だれだって一文無しから「自分のすみか=安住の地」を作れるってことを実証したいからです。

目的は「ともにすわる」ですが、具体性に乏しいというきらいがあって、それは決め科白であって、キャッチコピーとしては、、、と頭をフル回転したのち、停止。何も考えない、坐禅に突入です。

運転は京都を8時に出発→峠を10時に通過の予定とします。朝の早い時間では凍結のおそれあるからとの友の忠告に素直に感謝で従います。

ただいま4:22am、5時から朝風呂浴びて・・・

2/4(日)立春大吉

すずめ

昨日2/3はあれから予定どおり、敦賀へ行って息子夫婦と食事会の後、友と馴染みの喫茶店でPCの電源コードを受け取り、沖縄旅行の話などしながら京都への帰途につきました。
と、書いてしまえば一日があっという間に過ぎたようですが、じつは色々ありました。

そこを詳しく書く理由もへったくれもないのですが、ひとつだけ新しい発見がありました。

天気とおなじように全てが少しずつ確かに変わっていくこと、です。

あったりまえだのクラッカー(わからんか?)ですが、琵琶湖の西岸を走っていると「伊吹山」がやたらと目立つのです。昨日の午前中は快晴で山頂が雪を削った彫刻のようで、古来より伊吹山を詠んだ歌が多いのも頷けます。

午後から少しずつ曇っていって京都につく頃には、どんよりしてました。
まるでわたしの気分のように。

今日2/4は、朝仕事とルーティンをすませてから映画を観に行きました。
前から観たかった「PERFECT DAYS」です。
沈んだ気持ちがいっぺんに前向きになりました。
傑作です。

立春にふさわしい鑑賞で、感傷的になり、勧奨します^^
「立春大吉」って結局は「足るを知る」ことやとあらためて教えられました。
ブッダの教えでは少欲知足。幸せの大原則を地で行くこと。
劇中の懐かしい曲の数々にしびれました。

朝日のあたる家/アニマルズ

PERFECT DAYSネタバレ・感想
↑このレビューは良かったです。

世界を愛するのが上手い人と苦手な人がいる。
平山(役所広司)は渋谷区の公衆トイレを清掃する仕事をしている。スカイツリーが近くにある足立区で暮らしており、毎日渋谷区と家を車で往復している。
休みの日は木漏れ日を撮影したカメラのフィルムを現像に出し前回の現像分を受け取ったり、古本屋で100円の小説を買ったり、行きつけの居酒屋でママ(石川さゆり)の歌声に身をゆだねたりして過ごす。
言葉にすると毎日が同じことの繰り返しにしか感じられないが、平山にとっては日々世界に感謝し幸せに暮らしている。それは彼の所作や微笑みからわかる。
そう、彼は世界を愛するのがとても上手いのだ。
彼は音楽を愛している。小説を読む時間を愛している。植物を愛している。木漏れ日も、枝葉の影のゆらめきも愛している。トイレ清掃に誇りを持っているし、態度の悪い人々のことすら愛している。
このように書くと聖人君子のように感じられるが、決してそのようには描いていないのがとても巧妙だ。
(シフトがいっぱいいっぱいで自分の時間が削られてしまうことに不快感を示すシーンが象徴的だ)
平山の日々の暮らしを見て自分と近いと感じた方も多いだろう。
一方、面白みを感じなかったり遠い世界の話だと感じた方は、世界を愛するのが苦手な人だろう。

その違いが何か。それは平山と妹、そして姪の存在によりわかりやすく比較されている。
以下ネタバレを含むが、ネタバレというほどのものは存在しないように感じる。
それは僕やあなたの日々にネタバレなど無いのと似ている。

PERFECT DAYS(2023年製作の映画 
https://filmarks.com/movies/109454/reviews/168495967さかもとさんレビュー冒頭より

2/5(月)ルーティンと日課

ウグイス木漏れ日に浮かぶ

梅に鶯。春告げ鳥。
昨日観た映画の影響をもろに受けて、自分のルーティンを見直してます。
たいてい3時頃には目が覚めます。
歯をみがいてコーヒーを入れ・・・

ブログを巡回してメールをチェックし、ここに記事を書いて一服。
坐禅タイムは一炷(わたしの場合約30分)としてます。
20分では短く40分では長いというのが実感(ひとそれぞれでいい)です。
そのあと体操・・・。

休憩時間に近所のパン屋さんへ行ってコーヒーを飲みながら雑談するのもルーティンというより「日課」になってます。

最近は出張や現場に出るのが少なくなって、在宅勤務(会社ではWFHといってます)が多く、CAD(図面作成)とか資料調査はデスクワークなので、一日会話のないときもありますから、意識して外へ出かけます。

今日は雨だったのですが、雨だからといって日課は外せません。
いや「雨の日には雨の中を」的なものがわたしの中に一定以上占めていて、コダワリに近いものがあります。

ルーティンなんて昔はワザワザいわなかった。強いていえば日課ですね。やりたいとかやらされるとかそんなんじゃなくて、気がつけば毎日やってる単なる習慣、それでいいと思ってます。

黒澤明監督が本当に撮りたかったとの映画を紹介します(今日NHK BSでやってました)
「雨あがる」です。
夕方になって京都も雨が上がりました。

雨あがる/2000

2/6(火)何のためにこの絵日記を付けるのか?

水の音

子どものころから絵を描くのが大好きで下手くそで自己満です。
折込広告の裏が白いのを使って色々描いてました。
鉛筆では乗りがわるいのでボールペンやマジックでかいたりしてました。
題材はおもに神のような人間、人間のような仏です。

最近観た映画二本はともに生き方ですね。
「さかもとさん」という映画評論家の言葉を借りれば、世界に生きるか、社会に生きるかの違いとなるわけですが、わたしは今まで社会に生きてきましたが、これからは世界に生きたいと強く思いました。
世界と言っても、メジャーな世界ではなくて、自分ワールドの方です。

人間自然に自分がやりたいことを好き勝手にやってるわけですから、変に気負う必要とてないのですが、強いて理由をあげるとすれば「水の音」「水の色」「水の光」「水の〇〇」を描きたいのです。
「古池や蛙とびこむ水の音」って有名な俳句がありますが、見たまんま聞こえたまんまを句にするように、撮った写真や描いた絵を味わうってことでしょうか。

何のためを先に考えたんじゃもうそれは社会に生きることになります。
眼の前のことを淡々と愚直にやっていく。
澤木興道老師の言葉を借りれば「自分が自分を自分する」ってことかと。
結果を見て人は言います。「あの人らしいね」と。

いのちの歌/竹内まりや

2/7(水)温州みかんを冬に食べる日本の習慣

みかん

まずは、以下の動画を御覧いただきたい。

下手な記事よりこの方がためになりそうです。
冬には日本の温州みかんを(できれば皮ごと)食べようという結論です。

ぜひ再生速度を1.5倍で聞いてみてください。
早聞きは脳の老化を防止する効果が知られています。


5時過ぎましたので、私的モードに入りました。
な、な、なんと、ついに「建築工事の見積書」が届きました。
正直、思ったより高かったのですが、資材高騰のおりやむを得ないのかなと思い直してます。
まずは友人に電話で相談しました。

老後の資金、といってもすでに老後ですが、なけなしの貯金の中からの持ち出しだけに、内心躊躇するほどの金額です。ここは、よーく考えんといかんと、さしずめオレオレ詐欺の電話にたじろぐオバちゃんのように、見栄きってカッコつけたがるオッサンみたいに、とたんに饒舌になってました。

わたしも建築士の端くれですから、見積や大工さんの話は分かりすぎるぐらいわかります。
わかるだけに、気持ちがわかるだけに、根っからの正直者と知っているだけに、やりにくいったらありゃしまへん。
そうやな、そうや、ほんまや、わかるわかる、と。

今日は、明後日からの沖縄旅行のワクワク感を放り投げてしまうほどです。
人間、先立つものも、目の前のことも、将来の心配も、現金なもので現金ですね。
ここでは本音で走りますけど、志の達成には「お金」がかかります。
本当に本気で本物をやる覚悟が試されております。

夢物語ではない、現実物語の始まり始まり~

2/8(木)果報を寝て待つ家宝かな

果報は寝て待ての「果報」は努力した結果を指します。
やるべき事をやったら、結果がでるまで何もする事がない。
つまりは、寝て待つぐらいしかできないという意味です。
そういう状況になるまで徹底した努力が必要だとの格言でしょう。

やるべきことをやる。
こんなに簡単な言葉ですが重い言葉ですね。半端ありません。
これからが大変、はまだ先の話。建築工事が完了してからの事です。
今は、とにかくお金の準備と、とことん考えることかと思ってます。

あそこから◯百万円、ここから◯百万を引き出し、節約と節制を心がけ・・・
建築場所の位置決定と地盤調査、構造や意匠の詳細を決め、請負契約を交わし、、、
電気工事との兼ね合い、別途工事の見積・調整、手戻りの無いように・・・
具体的な「すべきこと」の多さに、チェックリスト作成の重要性を再認識してます。

すべては参禅堂が完成するまでの道のりを鮮明に描くこと。
今までは単なるイメージであったものを一つひとつ具現化していく作業。
お堂は、わたしたち僧侶にとってのお宝、つまり仏家の家宝です。
縁あってマキノの地を与えられ、縁あってそこにお堂を建てる果報であります。

ネコのようにそっと一歩を踏み出しました。

抜き足・差足・忍び足
PERFECT DAYS/Lou Reed-Perfect Day/piano solo

2/9(金)今日から沖縄にて3日間お休みします

2/9(金)伊丹から那覇へ

2/10(土)終日、沖縄

2/11(日)那覇から伊丹に戻ります。

2/12(月)より再開します。

2/11戻りました。元気です。
ご心配かけました。すみません。

2/12(月)沖縄はすっかり春でした

那覇空港/ANA

昨日の朝に沖縄を発って一路(あたりまえ)伊丹へ降り立ち、リムジンバスで京都に戻りました。
三日間の思い出はおいおいアップしますが、なにしろ沖縄には泣かされました。

叔父が沖縄で戦死されていることは子供の頃に聞いてて、それで一度は平和記念公園をお参りしなきゃと思っていたので、墓碑銘の箇所を検索して、印刷し、そこに・・・

涙が悔しいくらい溢れてきて、うずくまりました。
若い命が無惨に散っていった事実を確認して、愕然。

首里城、基地、ひめゆりの塔、モノレール、車社会、沖縄そば、人々の語り口、島唄、そして碧い海、、、

沖縄には平和を強く願う祈りの声が静かに確かに根付いていました。

沖縄よ、幸あれ。。。

2/13(火)参禅堂の浄縁は五寸角のヒノキの通し柱を使う!

ふつう浄縁はもう少し幅の広い木を使うのですが、やたらめったら高く付くので、大工さんの進言で、通し柱(150mm角の6m長)2面無節を使うことになりました。
この参禅堂の一番の推しでして、これが今回の建築のミソです。

浄縁は、足で踏まないようにする掟があります。
なぜなら、ここで食事を戴くからです。
三間の長さは、6人が並んで座れる幅です。

その他にもたくさんの打ち合わせを行い、昨日は夕方まで大工さんとの打ち合わせでした。
着工は4月中旬すぎになりそうです。
それまでに進入路の整備や、建築場所の地ならし、池の一部埋立て等の土木工事が目白押しです。

今日は、詳細図を引きながら、納まり(建築用語)を検討します。
もう、ワクワクが、はち切れそうです。

2/14(水)バレンタインデーですが。

古宇利大橋(こうりおおはし)は、古宇利島と屋我地島を結ぶ沖縄本島の北部エリアにある橋です。(2/10撮影)

沖縄の旅の終わりは、古宇利大橋(こうりおおはし)でした。
コバルトブルーかエメラルドグリーンか知りませんが、なにしろメッチャくそキレイです。
ここはいっぺん行くべきとのことで、行きましたが期待通りでした。
ちょうど天気がよくなってきて日差しが当たりだしたので良かったです。

今日はバレンタインデーですが、パン屋さんもお休みで、飲みに行く予定もないので、そのために出かけることもありませんから、家族からのLINEで顔が見れたらそれだけで幸せです。

チョコをもらった年頃はとっくにすぎ、そういう儀式的なことは若い頃の思い出箱にしまって、今はただつぎの段取りに向かうことに注力します。

若者は未来を思い、老人は過去を振り返る。
誰の言葉かわかりませんが、父の口癖でした。
そんな父の年を越えて、いまだこの少年老いにくく^^

過去にとらわれていては、みらいに向かう今を見落としてしまいます。
今ここを楽しむ
そんな心境であり、真理だ(亡き禅師さま風)。。。

2/15(木)老後に老後の心配は無用か?

首里城にて(2/10撮影)

もうすでに老境でありますが、自分では老人ではないと思いこんでいるわたしの本音を申し上げます。

人生はいずれ終わる」という一般に縁起でもないといわれる話です。

関係ないと思われる方はスルー願います。

わたしは子供の頃にこの思いを強くし、眠れぬ日々を過ごしました。
これ、ホントの話です。
いつか自分も死ぬと思ったら、いやでたまらなかったワケです。
それで小学生のころからお経を読むようになったのです。

お経に書いてあることは、「生老病死」という「苦」につきます。
四苦八苦の四苦です。
シクシク泣いている場合ではありません。
人間例外なく必ず死ぬわけです。

この死というものを突き詰めると「生」に至ります。
生まれたから死ぬのは当然という厳粛な事実です。
どうせ生まれたのだから、死ぬほど生きようと思えるかどうかです。
逆説でも何でもありません。

縁側に腰掛けて、人生を振り返って、そのときどう感じるかです。
後悔ではなく、慚愧でもなく、ましてや懺悔でもありません。
最後に死ぬほど生きて生きて生きてみようという覚悟です。
自分は、何を糧に生きていけばよいだろうかと。

↓の動画はご参考までに。。。

2/16(金)断捨離の価値

断捨離

断捨離で検索すると、無限のようにみえる情報で溢れかえっています。
まるで部屋中にゴミが散らかっているような始末です。
モノも情報ですね。
言葉の氾濫の中から、そのいくつかを拾い出してみます。

いわく、物を捨てようとして手に取ります。
すると、これはまだ使える

使える→使う→使うかもしれない→きっと使える。

いつ、どこで、だれが、どのように「使うのソレ?」

いつ:いつか。
どこで:どこかで。
だれが:だれかが。
どのように:なんとしても。

全部自分で作るいいわけです。
友に言わせたらきっとこう断言するでしょう。
使わんって!」(コレ最強の断捨離キーワードです)
正解です。

死ぬまで使わないものを置いておく必要は全くありません。
さっさと捨ててしまいましょう。
思い出の品という曲者を。
使うかもしれないという未練を、執着を、固執を。

断捨離。いい言葉です。
簡単で難しいものの筆頭かもです。

スタージョンの法則(スタージョンのほうそく、英語:Sturgeon’s law)は、SF作家シオドア・スタージョンの言葉から導きだされた格言である。

  1. 「常に絶対的にそうであるものは、存在しない」(”Nothing is always absolutely so.”)

スタージョンはまた、これより有名な格言も残している。それは正確な名称としては「スタージョンの黙示(すっぱ抜き)」として知られているものであるが、現在では「スタージョンの法則」といった場合、実際にはこちらを指すことがほとんどである。例えば、オックスフォード英語辞典でもそのようになっている。

  1. 「どんなものも、その90%はカス(crud)である」[1]
ウィキペディア

2/17(土)今日はマキノへ帰って・・・

紙と鉛筆、机の上

今日は片付けとゴミを清掃センターに持ち込みます。

この記事は帰ってから追加して書く予定です。
予定は未定でしばしば変更あり(懐かしのフレーズ)

ようやく仕事が完了しました。
おっと、20:00前ではないか?

今日は午前中、友の軽トラで、清掃センターへ昔の蒲団とか衣類とか衣装ケースなどを持ち込み処分しました。
そのあと、琵琶湖をながめて、名物ちゃんぽんを頂きました。
あったかい、あんかけラーメンでほっかほか。

それから一路京都へ、途中、大工さんからのメール。
浄縁の納まりについて激論を交わし、結局大工さんの仰るとおりで決着。

京都に戻って、残業。
うーん、ちっとも妙案が浮かばない。
そこで、電話でないと埒が明かないとばかりに、土曜の休日の中を押しかけ電話。
あっさり解決。

やっぱ若い人、現役のチカラにはかなわない。
押すべきとこをしっかり押えてます。

だが、しかし、押し込みすぎじゃね?
人には情感ちゅうもんがあるんだから、勝てばいいものじゃない。

負けたと見せて、やんわり抱き込むような寝技が大事なんよ。
そう思った週末でした。
年の功を見せつけるまでもなく、なるようにするのが年の功。
今に見てなさい^^チャンチャン。。。

2/18(日)やっと日曜、さっと掃除。

今日は、一切の仕事から離れて、やみくもに洗濯と掃除します。
日曜は、掃除の日と決めています。
それから京都の街に出かけて、だるんとした一日を過ごします。
それが、わたしの一週間の締めです。

一週間が日曜から始まるのか、日曜で終わるのか、ンなことはどうでもいい。
とにかく会社の仕事もお寺のことも忘れて、ダルダルの日と決めてます。
体は少し年をいきましたが心はいまでも少年です。
自分でもそう想うから、やっぱしワカイんでしょう、きっと。

行きつけの店がいくつかあって、駅についてから決めます。
電車の中で、どこ行こうかな?と考えてる瞬間が、結構楽しい。
はてさて、きょうはどんなダルダルになるのかな?
この続きは、山科に帰ってから・・・

・・・、と思っていたんですが、疲れて寝てしまいました。
まさにダルんとした一日を過ごしてしまいました。
一週間の疲れがどっと出て、というお決まりの台詞で恐縮です。

2/19(月)わたしの心象風景

見上げてごらん夜の星を
見上げてごらん夜の星を/坂本九

坂本九さんの笑顔は日本一だと思います。
日航機墜落事故で亡くなったのですが、この映像は生前のレコード大賞か紅白歌合戦の模様だと思います。とっても素敵な笑顔でしたので、埋め込みました。

わたしにも夜空の想い出は色々ありますが、なかでも父に叱られて、屋根の上で空を見上げたときのことをボンヤリとですが覚えております。

こぼれるような星々をすくうように手を広げる少年と父の姿は、わたしと父のようであり、わたしと息子のようでもあります。

こんど生まれた孫もこうやって息子と夜空を見上げるのかなと思い巡らし、ときの流れとともに、親子の人間関係を考えさせられます。

わたしの姓名判断では家族運が大凶で「縁うすし」と出ます。
これは、たしかに当たってるなぁと思いつつ、理由は「・・・」と確信してます。

もっともっと優しゅうならんといかん。
そう思った夜でした。

明日へ向かう人/半崎美子
明日へ向かう人/半崎美子

歌はいいものですね、この歌を聴くたび想い出す・・・のこと。
歌はその時の情景とともに記憶されている|実感です。

2/20(火)協生農法について(考察)

協生農法

昨日は一日この「協生農法」について考えました。
これはnoteに記事として掲げましたのでご覧いただければ幸いです。

協生農法について(note2024/2/19)

(株)ソニーコンピュータサイエンス研究所の舩橋真俊さんと(株)桜自然塾の大塚隆さんの提唱としてすでにマスコミにも取り上げられ、じっさいにこの農法を実践しておられる方も数多く、会社員として週末に取り組める農法として、実践を開始したいと思いました。

なぜ、わたしが協生農法をやろうと思い立ったのかを簡単に説明します。
何気にgoogleの検索を開いたとき、最近は注目記事が検索窓の下に現れるんですね、そのトップにTBSやNHKで取り上げられた協生農法の記事が上がっていたんです。

従来より自然農法に興味があり奈良のお寺でもやってみたことがあったので、この農法というところに目がいき動画をみて、これはいいやとなったのです。この間ほんの1時間でした。

それから調べだして午前中に実践マニュアルやChatGPTでの対話を通して概要をつかみ、noteに投稿したわけですが、調べれば調べるほどワクワクしてきたんです。

わたしの場合、なんでも良いと思ったらやってみる。ダメならさっさとやめる人間ですが、今回もまた無性にやりたくなった。困ったもんだと友人Tさんは思うことでしょう。

やらなきゃわかりません。やればわかる。わかるとできる。できるとおもしろい。

たとえばこのブログと言うかHPにしてもここまで続くとは思わなかった。いままで止めたブログはいっぱいありますから、どうせ途中で嫌になるだろうと想像してました。

ところがどっこい、今回は気負いがないんですね。
まさしく日記ですから人が見ようがみまいが関係おまへん。
書きたいことを適当に書いてるだけなんです。

もとい、協生農法の話でした。
タイトル画像に30分かけました。
今はCANVAという便利なツールがあるので、チョチョイノチョイです。

協:白=白紙状態からの出発であり何がとれるか楽しみの意

生:青=水は生命を育む世界の宝、宇宙一の物質、生育の意

農:黒=収穫(みのり)と丹精(どりょく)を表す土の意

法:赤=この世の摂理、もえるような情熱の意

といった願いをかけました。成功を念じたわけです。
ライフワークになればいいなという素朴な感情に支配されてる今日このごろです。
チャンチャン。(Chance Chance)

チャンス/さだまさし

2/21(水)協生農園というチャレンジ

noteにも書きましたから重複は避けますが、昨日わたしが務めている会社の上司にこの協生農法を使った取り組みを提案しました。
アグリボルタイクスって聞いたことありますか?

アグリボルタイクス(Agrivoltaics)は、太陽光発電と農業を組み合わせた持続可能な土地利用の形態です。このシステムでは、同じ土地上で太陽光パネルを使用して電力を生成しつつ、その下または周囲で農作物を栽培します。このアプローチの目的は、再生可能エネルギーの生産と食料生産の両方を最大化することにあり、土地利用の効率を高め、農業とエネルギー生産の持続可能性を向上させることを目指しています。

何のこっちゃわからないでしょう。わたし実は太陽光発電関係の会社に勤務しておりまして、そこで土木関係の仕事をやっているのですが、太陽光発電所では雑草の除去と地表温度を下げるための諸策あるいは地表面のガリ対策などが大変なんですね。毎年OM(維持管理)会社に払う費用も膨大なものになってます。ほとんどが人件費なんですよ。

そこで同じ手間をかけるぐらいなら、野菜や果物をパネルの下でつくったらどうかというのが私の提案の趣旨です。広大な面積ですから収穫量も膨大になります。軽く考えても十分採算がとれると踏んでいます。もちろん綿密な計画設計は必要ですし、導入時のコスト削減のために国からの補助も必要となってきます。あらゆる事態を想定しながら、それでも取り組むべきと考えています。

ただでさえ太陽光発電は地元住民の理解を得ることが大変です。昨日も北海道でしたか、地元市長の不同意のニュースが流れました。環境負荷というのは人間が生存する以上避けられないのが実情です。たとえば工場や店舗、住宅や道路は言うにおよばず、農地でさえ相当な環境負荷がかかっているのです。いくら再生可能エネルギーの必要性を力説しても抵抗感はなかなか払拭できるものではありません。

そこで、考えに考えた結論が、このアグリボルタイクスなんです。元の山や田んぼ以上に、自然に近い形態で農業とエネルギー生産を両立させようという画期的な取り組みです。近年、日本だけでなく世界各国がしのぎを削ってこの技術開発にチャレンジしています。

週末は坊さんですが、日頃は会社員です。今日は会社でこのアグリボルタイクス(Agrivoltaics)を進めるべきとの主張を繰り広げていきます。まずは実証実験と研究・リサーチを重ね、少しは社会に貢献していきたいと思った次第です。

2/22(木)ねこの日に思うこと

さくらんぼ/ネコの日

今日は「猫の日」とのこと。ニャンが三つ。9000通の応募の約三割が2/22だったとか。ちなみにこれは日本だけで世界的には8/8らしい。どうでもいいことだと思いますが念のため。

犬も好きですが、どちらかといえば猫派です。いや断然ネコ派かもしれません。
まぁ可愛ければとは思いますし、どちらもお世話が大変ですね。
昨日は明日からの三連休が楽しみで、不謹慎ながら仕事中も田舎のことが気になってました。
断っておきますが、このブログや私用は仕事時間外に行っています。

わたしは子供の頃から絵を描くのが好きで、広告の裏が白いのを見つけると、無性に描きたくなりました。今こそパソコンやスマホでチャチャチャと済ませていますが、手描きの味はAIでは出ないですね。

それはともかく、明日2/23は何の日なんでしょう、と思ったら大変失礼しました。今上陛下のお誕生日なんですね。それで祝日なのかと改めて思いました。4/29昭和、12/23平成、2/23令和。三時代を生きてきたのでパッと出てこない。こんなところにも年を感じてしまいます。わたしだけじゃないのですが、私だけのような気がして、不思議な感覚です。

脳と体を使うのが健康の基本だというのは誰でもいいますが、この方法は人それぞれで違います。昨日は電気屋さんの見積が大工さんを通じてきまして、いささかショック。結構お高いのであります。エアコンってほんとに要るの?と自問自答。このあいだ小屋に付けたばかりです。単相200Vの配線だけにしておいて、もう少し考えないと・・・友人に相談します。

ネコだけに寝込んでしまいそうな気分です^^

あと、昨日のnoteに念水庵の御本尊「念輪観音」のことを書きました。
ぜひご覧くださいませ。よかったらポチッと「スキ」もよろしくです^^

シカVSネコ/FNNプライムニュースより


2/23(金)マキノにてゴミ捨て

昨日から友人宅に泊めて頂いてます。

昨晩は熱燗でいっぱい、チョイと一杯のつもりが、、、。

朝少し残ってましたが、友人の軽トラでマキノに
昼までかかって本を大量整理、ようやく昔のベッドを捨てることが出来ました。
昼は駅前の食堂で定食を頂き、清掃センターで処分、再び友人宅へ戻りました。

夜は焼き鳥屋さんを訪ねましたが、どこも一杯か臨時休業でお休み。
仕方なく居酒屋さんで今日は軽く、、、。

2/24(土)今日はマキノにて棚作り

今日は朝からマキノにて本棚を作ります。
やっぱ、PCでキーボーでかちゃかちゃやらんと、ちょうし狂います。

今日は早めに京都へ戻ります。

予定通り本棚が完成。
製作の模様はnoteに書き込みました>

午前中いっぱいかかりましたが、何とか予定通り。
お昼は友と駅前にある昔のお寿司屋さんの居酒屋で、お刺し身と小うどん美味しかったです。
花粉症でしょうか?グスグスになりましたので、マキノ高原のサラサという温泉で汗と花粉を流しました。それから道の駅で少し昼寝してから京都へと戻りました。

夜ラジオの「のど自慢チャンピオン大会」を聴きながら、泣きながら寝ました。
グランドチャンピオンは「三日月」いい歌でした。
♬君も見てるだろう、この三日月・・・

三日月/絢香

2/25(日)吾が相棒、キーボードくん達。

相棒

スマホとかiPadでは、やはり興がノリません。
この両手の指でKBでカチャカチャ奏でながら、お気に入りのマウスボール、もちろんデスクトップPCに大画面モニターといったウチのメンバーとでなきゃブログ一つ、しゃかしゃか進まないんです。
音楽をいつものバンドメンバーと演奏するのと同じようなものかと思います。

創作環境というほど大げさなものではないんですが、やはり住み慣れた家と同じで、ちゃんとしたルールがあって、そこでそれぞれがきっちり役割を果たしてくれてるからこそ、自分らしい音を出すことが出来るんですね。いちいち意識しなくても、頭に浮かんだことをただサラサラと繰り出してくれる。指の感覚、とくにKB(キーボード)はまるでピアノのようです。わが相棒であり愛器です。

ついに来月三日、大工さんと参禅堂の建築請負契約を交わすことになりました。ひなまつりの日ですね。ようやくここまできました。わたしにとっては大きな買い物ですが、大工さんにとっては小さな工事でほとんど利益なし。親寺の檀家さんで、住職の同級生ですから引き受けてくれたようなものです。感謝しつつ、全面的に信頼を寄せています。

朝の掃除が済んだら、今日は雨の予報なので、雨の日には雨の中を(相田みつを)京都駅の近くまで参ります。いつものようにブラブラしながら、会社員としての日曜日を楽しみます。夕方には戻ります。

雨の街を/荒井由実1976

2/26(月)2月の雨はやはり寒い

昨日はやけに寒いと思いましたら、エアコンがかかっていなくて、それで急いでかけたのですがそれでも寒くて風邪でも引いたのかと、空素振りを100回やりましたら暖かくなって何でもありませんでした。思い込みは禁物で、心配より行動、体を動かすだけで体調は戻ります。そのようにできているのがニンゲンという代物。心配が過ぎると老化が急速に進む、そんな気がしてます。

頭を使うことも大事で、考えるのは書きながら考えると良いことはわかりきっているのですが、悩んだりするときは大抵は手を動かしていない、つまりボーッとしながら悩むんですね。キーボードとか鉛筆もって書きながら考えると存外にスーッと考えがまとまってきます。あるいは人と話しながら考える。会話というのは、己自身との会話、他己との会話、つまりは己の考えを鮮明にします。

noteの記事を書いていると、まだまだ本当に自分の言いたいことが上手く表現できていないことを思い知らされます。ここはホームグラウンドなので、思ったまま気ままにやってますが、ひと目があると思うとどこか上手く書いてやろうという魂胆が働いて、つまり気負ってしまうんです。それでちぐはぐでまとまりのないものになってしまいます。本末転倒、テーマをしっかり見定める、時間をかけずに手間をかける、そういう熟達が必要であると、未熟さを嘆いています。

何がいいたいかというと、昨日からの雨のように気分が寒い、乗らない、調子が出ないときもある。そんなときは「雨の日には雨の中を」思い切って出かけてみる。昨日もパン屋さんと話しをしていたら、考えがまとまるんですね。それでつぎへ進む。何か書いていると意外なアイデアが生まれたりする。気づきがあれば頷きもあります。図面や絵画を描くのも、音楽を聴くのも、運動も全部、行動こそ真実。自分らしい自分を自分がやらなきゃ誰もやってくれません。

畑のことが頭から離れないわたしです。

野菜と坊主

2/27(火)糸状菌のチカラ|寺野菜

今日までに「菌ちゃん先生」こと吉田俊道さんの本を買い、ネットの講座に参加して色々と勉強させてもらいました。最初は眉唾ものと疑い深く拝聴しておりましたが、だんだん洗脳されまして目からウロコとはこのことだと信じるようになりました。新手の宗教ではないかとの思いもいずこやら、すっかり敬虔な信者のようにハマっております。ぜひやってみたいと確信してます。

ようするに糸状菌の力を利用した自然農法なのですが、化学肥料や農薬を使わないのはもちろん、一度畝を作ってしまえば2~3年は耕したり畝を作り直す必要がなく、一年に何度でも収穫できるという嘘のようなホントの話です。吉田さんは県職員でしたが「理屈ばかりでは説得できない」と退職して農業をはじめ、見事にこの「菌ちゃん農法」を実証され成功を収めています。

紹介を兼ねて動画を上げておきます。

菌ちゃん農法/畝作りの全て

女子一人でもできたというのがいいですね。自然農法はチャレンジして失敗する人が圧倒的に多いのです。かくいうわたしがそうでした。虫食いだけならまだしもさっぱり育たないなんて事例は山ほどあります。だからこの方法がバズってるんですね。協生農法と比べて畝作りが大変そうでしたが、わたしの場合つよい味方がいます。友とミニユンボくんです。

なぜこんな見事な野菜が無農薬で何年も不耕起で連作できるのか?虫が食べないのはなぜか?その秘密の全てが「菌ちゃん」です。EM菌も使いません。麹つくりと一緒で「糸状菌」が活躍する環境を整えることに尽きます。まさに「糸状菌のチカラ」です。一度作った大きくて高いドーム状の畝が、彼ら「糸状菌」の住処であり、野菜が育つ土壌なんですね。環境にやさしいイチオシ農法と断言します。

あ~はやく現場に行きたい。寺野菜(てらやさい)を創りたい。そう願ってる念水庵でした。

2/29(木)来月からこのサイト改めます

昨日2/27は兵庫県に出張でした。帰ってから更新しようと思いましたが、少し考えました。最近はnoteに注力しているきらいもあって、投稿内容が重なることが多くて、日々更新に意味がなくなってきました。そこで、3月からはアイキャッチ画像をカレンダーにして、毎月カレンダーだけ変えて本来の固定ホームページとすることにします。

念水庵の概要や、もっとも表現したいこと、あるいはニュースなどの情報を集約した、インデックス的なものに致します。やっぱこれが普通でしょう。日々のブログはnote(ただいま毎日連続投稿中)でこれからも続けます。

今日中にページを刷新しますので、今後ともよろしくお願いいたします。

ありえない日本の風景(外国人のイメージ)

↓note(ノート)は毎日更新中です。ぜひご覧ください。♡お願いします^^

念水庵|note

ではまた明日っ!

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