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True strength come from inside.
真の強さは内から生ず
目次No.は日付です。タップ(クリック)でその日の記事に飛びます。
元旦によせて
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
TOP画像の「ダイヤモンド赤富士」いかがでしょうか^^
最上吉の絵です。ここで拝めば運気万倍と豪語しておきま笑。
今年一発目の実写真は、念水庵の池(工事中)と愛機(ゆんぼちゃん)です。
年末は穏やかな日が続きまして、例年になく雪なしのお正月を迎えました。
久々にマキノに帰って、除夜から泊まりました。
故郷とはこんなに良いものかとあらためて感じています。
まだ工事中ですが、ことしは自然造園をテーマにした草庵の庭造りを進めていきます。
この池を眺めているだけで気持ちが安らぎます。
池の底には、池の主「イモリ」が2~3匹、文字通り井守(いもり)しています。
表面は黒く、腹は赤い、模様は「南無阿弥陀仏」の梵字とも。
皆様の本年のご多幸を祈念いたします。
ことしもどうぞよろしくお願いいたします。
新年最初の曲は、山崎ハコさんの「あなたの声」を選びました。
この曲には深い思い出があり、歌詞の一節に、いまも励まされております。
「選んだ道を愛していきましょう、、、希望よ走れ」と。
一富士二鷹三茄子
一富士:不二の山、富める武士の意。
二鷹:高い志、尊い命の意。
三茄子:成す、為すの意。
このように様々な意味をもった初夢ですが、なにも眠ったときの夢に限ったことではありません。元旦に「不二・高志・成果」といった目標をかかげることも初夢であり、夢で終わらせない強い決意がもとめられます。
不二とは、自分にしかできないことや自分がやる必要のあることだと思います。
高志とは、文字通り高い志を秘めることだと思ってます。
成果とは、成し遂げる真剣さ、結果を出すことでしょう。
日々の積み重ね、修練が実を結ぶ、そんな一年でありますように。
応援歌「俺たちの明日」、2023紅白にも出てました。
糧(かて)
元旦、二日と少々食べ過ぎ、呑みすぎました。
腹も身の内です。胃腸を休めたいと思います。
元日早々能登半島大地震にびっくり、滋賀県北部も相当強く揺れました。石川などの被害が徐々に明らかになるにつれ、これはもう大地震と呼ぶべきと思いました。死者の数が増え、被害の拡大が進んでいます。石川県だけでも57名の死亡が確認されたとか。大惨事です。
二日には日本航空の516便が海保の航空機と衝突し羽田空港に着陸後炎上という事故が報じられました。乗客乗員の安否がとても心配でしたが、379人の全員が脱出済み(14名けが)とのことです。あわや大惨事にいたるところでしたが、ひとまず安心です。にしてもこれも大事故には違いありません。その後、海保の航空機(固定翼機)乗員6名のうち5人の死亡が確認されました。
年頭二日間、天候は快晴でしたが、被害に遭われた方に思いを寄せると心が痛みます。
古代、糧は旅などに携帯した干し飯(いい)を謂いましたが、現代では食物や活力の源泉の意味で用いられることが多いと思います。音楽は心の糧とか申します。しかしどこか、起き上がった出来事を教訓にするという意味で「糧」とすることもあります。地震・雷・火事・親父。糧とするには重すぎる恐怖にたじろぎながら、災害が忘れた頃にやってくる教訓であるとは実感しています。
映画「あの花が咲く…」を観て泣いた
昨日1/3は京都で映画鑑賞。キャラコンとコーラをもって入りました。
タイムスリップもので軽薄なんだろうなと半ば諦め気分でした。ところが期待を見事に裏切ってくれました。タイトル「あの花が咲く丘で 君とまた出会えたら」からすると恐らく現代で再会するんじゃないか?と高を括っていたのです。
戦争の悲惨さを描いたシーンでは元日の能登地震を彷彿とさせ、戦災孤児の姿が焼け出された輪島の子どもたちとカブって、泣けて泣けてしょうがありませんでした。極めつけは「手紙」でした。
脳は見たいものを見ている。
わたしたちの人生というのは、たとえ100年でも一瞬の出来事なのかもしれません。「一炊の夢」であり「パラレルワールド」と捉えることもできます。目に見える全ては観念でしかありません。そうではありましても、機縁というものは人を丸ごと変えてしまいます。カルチャーショックといえば簡単ですが、感動とまではいかなくても、まぁ「涙腺崩壊」でした。
叔父は沖縄で戦死されています。焼夷弾の中を逃げ回った話も私は聞いています。いまの人はこの映画を観てどう感じるんだろうか????ところが館内は圧倒的に若い方が多かったのです。ゴジラ-1.0に続く第二次世界大戦ものの大ヒット。戦災の惨禍と災害の惨状。南海トラフ大震災の予想。そうした時代を超えた恐怖と平和の有り難さ。複雑きわまる感慨に浸りながら、、、
庵を結ぶ
衣食住。この三が日ほどこれを考えたことはなかった。
むろん元日の能登半島地震以来である。
毎日のように死者数が増え石川県では84名となり行方不明者も100名を超えた。
水や灯油をはじめあらゆる物資が不足している、という。
着るだけで即あたたまるテイジンの綿入れを買った。
水は湧水を貯めている。
電気はいざというときのために太陽光発電を検討したい。
食物はやはりイモや野菜を育て、山羊や鶏を飼うべきかも。。。
住まいは小さく頑丈な平屋(軽い屋根とツーバイフォー)がいいだろう。
草庵(くさのいおり)は必要にして十分である。
山の中は木の根が張っていて地割れしにくいが崖崩れに要注意だ。
つまり完全に安全なところはないというのが結論。
ところで、↓あいみょんは前髪を上げるといいと思う。
映画「窓ぎわのトットちゃん」の主題歌。
坐禅堂を建てる意図
毎晩のように坐禅に参加している爺さんがいた。ある晩、その爺さんが百丈和尚に尋ねた。おれはかつて住職のとき「坐禅は因果に落ちない」と言ったばかりに五百生の間、野狐に堕ちた身。どうか和尚、おれを助けてくれ、坐禅に何の功徳がある?
和尚はいった「因果を昧(くら)まさず」と。
明くる朝、本堂の裏に野狐の死骸が落ちていた。和尚は手厚く葬った。
有名な野狐禅の話ですが、検索で昔の私のブログを発見しました。昔の日記というのは気恥ずかしいものです。相当気負ってますね。これもわたしの青春。
野狐禅だろうが何だろうが、参禅という行動はなかなか続くものではありません。それを何年も続けておるという。頭が下がります。ようやく針の穴が見えてきたと思います。いや針の穴から覗いたほうがよく見えるのかもしれません。ピンホールという眼。
庭の一角に、一間半に三間で四坪半、九畳程度の六人が座れる木造平家建を建てます。
毎週土曜の朝六時から、参禅会。
最初は二人から始めます。最大収容人数六名。
坐禅のあとに「美味しい行茶(ぎょうちゃ)」が目標です。
参禅堂の設計図
昨日1/6は、上の図面をCADで引きました。図面は描くといわずに引くといいます。CADでも同じで鉛筆とかで定規を使って線を引くところからきたものだと思います。
これ、PNG画像にしたので線がつぶれてますが、PDFならちゃんと見えます^^
自分でもツッコミどころ満載ですが、とりあえず叩き台です。
玄関から戸を開けて土間で沓を脱ぎ、浄縁を踏まずに単(板の間)に上がります。単には座褥(座布団)とその上に坐蒲(丸いやつ)を6組用意します。それぞれ自分の単(席)で壁に向かって坐ります。鳴らしものは最初は鐘だけです。一炷45分間、ただ坐るだけです。
作法にこだわる必要はないのですが、最低限のマナーはどんな世界でも必要でしょう。面壁でなくてもいいです。ただし、スカートだけは困ります^^
行茶は浄縁でいただきます。近くの和菓子屋さんで買って帰って、玉露か抹茶を用意いたします。
待っちゃ?なんてダジャレを飛ばしたいです。
これはぜひ実現したいと熱望しております。
熱望とは片時も忘れられない熱い希望でありまして、、、。
こんな格好は困りますが、、、
煩悩即菩提。行茶だけなら大歓迎でして・・・
煩わしく悩むと書いて煩悩と読ませるわけですが何も悩むことはありません。
つまりは妄想なわけですから大いに楽しめばいいわけです。
若いお姉さんをみて興奮するのは若い時だけです^^元気な証拠。
エロチズム
エロティシズムは、リビドーの美学的視点に焦点を当てた概念である。とりわけ性的活動への期待感に関連し、期待などの状態だけではなく、表現手段を用いてそうした感情をかき立てようとする試みについても用いられる。平等性の原則からエロティシズムとエロス、エロティカ、ポルノグラフィを選別しないことも可能である。
ウィキペディア
何のことはない。色気のことである。わたしも所詮は男。こうした画像や動画に心を動かされないわけがない。ただ引きづらないことを心がけているだけだ。
下の漫画のほうが意味深でどことなく笑いを通り過ぎたペーソスさえ感じる。
地震
百年後の日本には、東京にピラミッド型のAIセンターが建っている。
との夢を見た。
まんざら嘘でも予言でもない。
マグニチュード7.6という地震規模は阪神淡路大震災のM7.3を上回る。
能登半島地震の被災に心が痛む。
奥能登を旅したことがあるが、そもそも能登半島が日本海に突き出している地形からして大きな断層があることは自明であり、今回動いた距離は150kmにも及ぶという。
何がいいたいかって?
地震というのは、地殻変動なのであって、よって立つ地盤が歪を正すべく動くことだ、と思ってる。
人間の世界にも地盤があり、歪を正そうと動くのは当然だ。
ガラガラポンとはいかないだろうが、まずは地割れするだろう。
野党が貧弱なのだから自民党を割ることだ。離合集散は世の習い。今こそ好機だということに何で気づかないのか?勇気がないとしか言う他ない。アホや。馬鹿でもなんでもいいから、このままでは政権取れないと思ってるのなら、割って出る覚悟を示せ。どうせ割るなら大義をもって割ることだ。ザイム真理教に対抗する勢力が自民党を割ってほしいと願っている。どうせムリだろうが。
自民党の西田議員や国民民主党の玉木議員など真に邦を憂う政治家が中心となって財務党の諸君に対抗する勢力を結集できないものか?ムリスジだが「消費税」を廃止もしくは5%に減税するだけでもこの邦は再生できる。その一点突破で結集せよ。「消費税」は二重課税(源泉徴収後の課税)であり、これを廃止する財源は国債発行で賄えるのだ。われら庶民でもわかる理屈を財務当局は頑なに隠す。
もう一度声を大にしていう。消費税は二重課税である。
邦の未来よりも大事なこと
政治不信が極まっていますが、政治にお金がかかるのではなく、選挙に金がかかるのではないかと思ってます。選挙制度を抜本的に変えればいいのに、と以前もここで述べたかもしれません。もうそろそろネットで投票してもいいんじゃないか?とさえ思います。当面は紙ベースの投票も残しつつ、多くのスマホユーザーはポチっと投票!ならいいのに。相当費用は削減できます。
夢物語はこのへんにしときますが、山林を外国人が買い占めているらしい。山林のみならず街なかの地面も外国人がどんどん買っています。円安の影響かもしれませんが、お金に困って売る方の気持ちにつけこみキャッシュで買い叩くとのこと。なんとかならないか日本。
邦の先行きを心配することは大事なことです。武士道といってもいいです。自分の金儲けのことしか考えないよりは数段マシです。ですが、もっと大事なことがあります。それは、それぞれの使命ということではないでしょうか。使命とは文字通り「命を使う」命がけの目的です。目的は何かと自身に問う。そんな一日を昨日は過ごしました。
人生最後の日に「普段通り」行うこと。それが人生の目的。わたしは「いつもどおり掃除をして、それからお湯をわかして、お茶の準備をして、禅堂で坐り、お茶を頂き、池をみながら、、。」
大好きな良寛さんが貞心尼の耳元でささやいた辞世の句(らしい)
「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」
いろんな「悲しくてやりきれない」を聴いた結果、多部ちゃんの歌が一番刺さりました。以上。
究極の健康法とは
ずばり、掃除は究極の健康法である。
なぜなら健康目的ではないからであって、もくもくと為すべきことを為す中に、全身運動によって胃腸をはじめあらゆる臓器・筋肉・骨格・脳などの機能をフル回転する所作だからだ。
この絵の少年の姿をまずはじっくり眺めてほしい。
古く乱雑に汚くなっている部屋を少年が掃除していることは、現実を顕している。
まるで自分自身ではないか?
腕まくりをした手と踏ん張った足には鍛えられた清々しさが残っている。
掃除道具と全身のバランスは、支点・力点・作用点を彷彿とさせる。
よく「生きがい」といわれるが、わたしは「死に甲斐」であると断言したい。なんとも臍曲りな言いようで恐縮だが、死というものを意識していないと、毎日がだらけるのだ。「いつか死ぬ身」ではあまりにも客観的であってまだまだ自分のものになっていない。死に甲斐というのは、いつ死んでも納得の境涯であって、崖っぷちにたって、つまり往生際でも平然とした気心なのだ。
願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ(西行)・・・桜を愛した西行らしいと解説されているが、そんな浅い歌ではない。坊主は生死(しょうじ)を心得ておる。自分の死期さえわかるのだ。いや坊主ならずとも自分が死ぬのはわかり切っている。なるべく考えないようにしているだけだ。一時間後に死んだとしても悔いがない、今を、ありきたりだが、生きる。そうありたい。
志村喬。俳優中の俳優。「生きる」はもちろん「寅さん:男はつらいよ;初作」の博の父親役には泣けてしょうがなかった。シブイ。カッケー。スゴ。とくに『七人の侍』では侍達のリーダー勘兵衛役を好演していた。なんて素敵な方だろうと子供心に憧れたものだ。
二人の結婚式は、柴又・川甚で開かれた。寅次郎は、博と喧嘩別れしていたはずの両親が出席しているのを知り、父親(志村喬)の大学教授という肩書きにも反発を覚える。しかし、父親の「8年ぶりに、皆さんの温かい友情とさくらさんの優しい愛情に包まれたせがれの顔を見ながら、親としていたたまれないような恥ずかしさを……。一体親としてせがれに何をしてやれたのだろうか、何という無力な親だったかと……。今ようやく皆様のお陰で、春を迎えられます」といった涙ながらの挨拶を聞き、会場一同を代表して感謝し、すばらしい家族を持てたさくらを祝福する。
ウィキペディア「男はつらいよ」より抜粋
コンピュータ
もう少し「掃除」を掘り下げてみたい。
そうじ・清掃・片付け・洗濯・絶食・下剤・整理整頓なんでもいいんだが、とにかく掃除というのは、いらないものを整理つまり捨てることだと思う。
パソコン(スマホを含む)やってると色んなゴミがたまってくる。これを定期的に捨てる作業(クリーニング)は最近のパソコンは自動でやってくれるが、ゴミかどうか分からないものはそのままにしておく。ごみ箱に入れたものを完全に(といっても大抵データは残ってる)削除するには人間が意思決定しなきゃならない。
量子学は「波動」とかわけわからんのがあって、いささかスピリチュアルな感じがしないでもないが、要は未知のものを現実的に取り込もうという挑戦かな?ぐらいに考えてる。それはともかく、修行時代「掃除」ほど嫌なものはなかった。寺では朝から晩まで掃除の連続だった。ところが、老僧の多くは死ぬまで掃除を厳しく伝えた。身をもって。
掃除の効果はいうまでもない。理屈抜きにきれいになるのである。仕事がはかどる。つまづきにくい。何より気分がいい。いいことづくめだが、やる気が起こらないのも掃除の特性である。こういってしまうと身も蓋もないが、ようするにめんどくさい。大事なことはわかっていても、やらない、後回しは私の性分かと思っていたら、大抵の人がそうらしい。
金持ちが少ないのはこうした理由によるらしい。金持ちの家はたいていキレイだ。貧乏で家がきれいに掃除されている家は少ない。差別的な言い方で顰蹙ものだが、じっさいそうなのだ。むかし「トイレの神様」という歌があったが、トイレが一番わかり易い。
涙は眼の掃除のためにある。こころのゴミまで流してくれる。
きょうも取りとめのない記事になってしまった。お赦しいただきたい。
「涙色」で検索してたら「西野カナ」がヒットして、懐かしさのあまり「トリセツ」を聴いてみたところ、なぜか泣けてきた。このトリセツ通りに大事にしてたら、おそらく泣くことはあるまいにと、後悔ではなく、申し訳無さに涙コボるる思いだ。いや、涙もろくなったことは確かだろう。子猫のために人間に尻尾を振り、傷ついても肉をもらう親猫の姿を見ただけで、まぶたに薄っすらと涙がにじむ。
いかりの矛先
ようやく激甚災害と指定された。なにもかも遅い気がする。
M7.6は阪神淡路大震災のM7.3を大きく上回るエネルギーだ。
一説には4mほどの隆起が見られることから年に1mmとして3~4000年に一度の確率で起きた地震だとか。令和6年能登半島地震は大地震であり大震災なのである。
今後このエネルギーの解放をきっかけとして、火山の噴火や他の活断層に影響をもたらすことは容易に推測できる。たとえば富士山の宝永噴火は、M8・6とされる国内最大級の宝永地震の49日後に発生。連動して起きた可能性が指摘されている。
他国にいいかっこばかりしていないで、国内の地震対策に、本格的に取り組むべきである。とここでぼやいても空砲に過ぎない。選挙での落選ばかり心配して派閥や業界団体たちに媚を売り続ける政治屋ばかりではどうしようもない。さらには財務当局から睨まれないようにペコペコしてるようでは話にならない。このやり場のない怒りをどこにぶつければいいのだろう。
われわれはまもなく死んでいくのであるから騒ぎ立てることもないが、若い人たちや子どもたちが心配でならない。石川県などの悲惨な状況をみるたび、明日はわが身、わが地域であることを痛感する。
地震だけではない。自民党の政治刷新本部が設置されたが今月中に中間報告というのが逃げの手であることは明白だ。派閥解消などとほざいても解消するはずがない。政治不信という地震を舐めてるのか?選挙制度を変えなければ、相変わらずの政治が続くだけだろう。吉幾三さんの💢動画を埋め込んだ。ぜひご覧頂きたい。
練習が本番。
なにごとも本番だとおもって練習すれば上手になるって聞いたことがあります。ところが写真にしても絵にしても本番意識が低いと駄作ばかり。そこで下手な鉄砲も数撃ちゃ式に、やたらと色々撮ってみるんです。まるで役者が監督と打ち合わせしただけで、脚本からにじみ出るような感覚で演技されるようなものです。AIはまるで俳優のようなものだと最近思うことしきり。
毎日生成AIで画像を出していると、大きな錯覚を生じてしまいます。それはAIがつくったのに自分がつくったように勘違いしてしまうことです。むろんプロンプトとか設定とかシステム構成といったある程度のテクは必要なものの、そんなものは誰でも使えるわけで、せいぜい意図的な部分とか絵のタイトルぐらいでしょう。少々クリエイティブなところは。
1/13(土)マキノ(滋賀県北部)は日中雨でしたが、夜は雪になりそうなので、用事だけ済ませて早々に京都へ戻りました。用事は、先輩と親友との三人で「鯉のあらいとひつまぶし」を美味しく頂く食事会と、大工さんに参禅堂の見積りをお願いに上がりました。打ち合わせの結果を反映して図面を引き直す予定です。やはりこういうことは、ご縁のものなので早め早めに段取りすべきだと思います。
後に引けない状況を自ら創り出すことで、自分自身に発破をかける、ことかと。
話は変わりますが「深夜食堂」主題歌の鈴木常吉さん既に亡くなっておられました。鈴木さんは2020年7月6日に食道がん65歳だったとのこと。まだ若いのに、すてきなミュージシャンでした。
自画自賛
継続とはおそろしいもので、このサイトにも結構ひとがきてくれてて、中にはコメントとかいいねとか出来んじゃんという話を聞きます。X(旧ツイッター)とか昔しょっちゅうやってて、気が小さいものやから、ちょっと辛辣な意見があったりすると、一発でめげて、ようは質めんどくさくなって今はほとんど顔出ししてません。だから静かな環境で独断専行空間で自己満やってるわけです。
よく笑顔の画像のほうがいいじゃないかと思うんだけど、なんか嘘くさいというか不自然なんよ。芸能人じゃあるまいし、作り笑顔は柄に合わない。小難しい顔して仕事するわけであって、へらへら顔の、たとえば岸田くんなんか見ると、それだけで頭来るわけです。きょうは酔っぱらってるのでなおさらですが、あのひと、悪い人じゃないんだろうけど総理になりたかっただけの人やと思います。
わたしはこういう邦にしたいという明確な目標がないに等しい。いつも抽象的な言いようで、およそ総理には向いていない、事務方のようなお方。そこへいくと賛否両論ありますが「田中角栄」「小泉純一郎」などは、原稿見ないで自分の言葉で語ってました。賛否はどんな時代であれあるわけで、そんなもん気にしてたら、岸田くんになってしまうわけです。
自画自賛で申し訳ありませんが、私これでも和尚の資格をもってます。ただ住職業にはまったく向いてないので、自分で自由な生活したくて(檀家のいない)、田舎の土地買って猫と好きに暮らしたいとの願望で生きてます。お金には困ってません。借金もありません。自己満足・自画自賛ですが、人間好きなことしながら生きるって、意外と大変なんですよ、実際。
この歌になるんじゃないかな?と思っていたら案の定でした。あいみょんファンとしては嬉しい限りでして、国民歌謡(ふるくせー言い方w)と呼びたい。ザマーミロのヴィーナス。
大山鳴動而鼠一匹
SNS界隈では派閥幹部たちの立件断念に怨嗟の狼煙が上がっているらしいが、現行法では裁けないと捜査当局が判断したのだから、予想通りトカゲの尻尾切り、つまり会計責任者だけの立件で終わるとの見方が大勢だ。まさに大山鳴動して鼠一匹ではないか?
だがこれでますます政治不信が高まるのは論を俟たないであろう。よほどの刷新や法制度の改正を行わなければ、政権交代もありうる状況となってきた。逆にこれでいいのではないかとさえ思う。ほとんどの国民は平和ボケであるが、庶民の生活困窮度は現実であり、普通の邦なら暴動でも起きかねない。
これもまたよしホトトギス。無為自然の道理からすれば、無責任のようだが「なるようにしかならないが、なるようにはなる」のだ。わたしは放置しておく。法治国家であれば放置国民のほうが、結局正解かもしれない。天罰覿面といって、悪い奴らは必ず自滅するのである。
沖縄空手のミヤギさんの「KARATE4」に出てくる喧嘩好きの悪い奴らは、映画だから観客にこれでもかと悪辣ぶりを見せつけるのだが、ミヤギさんはじれったいぐらいに落ち着きつつ、徹底した心の平静と「いざというときには必ず勝つこと」を教えておられた。
Fighting not good. But if must fight, win.
戦闘はいけません。しかし戦わなければならないときは、勝ちましょう。
きょう1/17は、阪神淡路大震災の日。ことしはなお心が痛みます。「ともに」
真の強さとは?
2月に沖縄へ行く予定をしてます。沖縄は空手発祥の地とか。先の大戦で亡くなられた方の慰霊が主目的ですが、琉球は中国と日本から大きな刺激と影響を受けた島国で、カンフーと武士道が空手を産んだのではないかと、その風土を体感したいと思っております。もちろん沖縄料理などの楽しみもあります。いずれにしても行って見なくてはわからないことが多いのが旅です。
わたしの金持ち父さんは、経営者として優れた感をもっておられ、何はともあれ行ってみようとどこでも連れて行ってくれました。その車中で経営者としての顔以外に人間の強さを教えてくれました。この強さは一体どこからくるんだろうと、若いときはさっぱり掴めませんでしたが、あるとき成る程と思ったものです。それは、生まれながらの苦労という環境でした。
物心ついたころには幾代も続いた名家が一文無しになったとのことでした。両親と死に別れ、住んでいた家を追い出され、親戚の家に預けられ、食べるものも禄に与えられず育ったとのことでした。逆境は人を鍛えます。そういう境遇だからこそ誰よりも人情とか義理といった基本的な精神性が培われたのでしょう。いつも「おおきに」が口癖でした。感謝の念を強く持たれていたのです。
真の強さは、芯の強さでしょう。鉛筆の芯はやわらかく硬いわけです。紙に自らをぶつけて身を削ることが鉛筆の使命です。毛筆も同じです。やわらかくかたい。かたくやわらかい。空手も剣道も同じです。武士道と言ってもいいでしょう。本質は普段の練習が内心を鍛えます。坐禅も同じ、なにも坐っているときだけではありません。坐る前後の時間が身心を鍛えてくれるのだと思います。
まさしく”True strength come from inside.”です。
1/18、今日は「初観音」の日です。毎月18日は観音様の日。
観音様は、だれ?じつは自分自身だったりするのです。JanJan。
沖縄といえばこの人、安室奈美恵さん、お元気でしょうか?
機械
ロボットは人間が作り出したものであるが知能をもった瞬間に自らを進化させる動きに出る。映画に出てくるロボットたちは、いつもどこか悲しげで、人間が立ち入れない中を懸命に動き回る。なんのことはない。AIの話であって、最近恐怖さえ感じるようになった。
たとえばChatGPTなどは優等生のような回答しか帰ってこないが、この絵の命令文(プロンプト)は「ロボット娘」であったのに、この有様だった。どこが娘やねん、とつっこむどころか、いきなり捨てていた。ゴミ箱の中から拾いだして、もう一度じっくりみてみた。AIは密かに学習していたのだ。
まず、左右対称ではない。ひじょうに人間臭い。よく画像生成は入力する人間の過去を反映してしまうという神話?があるが、そもそも機械語なるものは、まるでお伽噺のように複雑かつ巧妙な魑魅魍魎たる言語であり、人間が解読しようとすると何万年もかかるとのこと。
近未来に人工頭脳が人類を凌駕し、命令を下すようになるかもしれない。映画のような世界観だが、そもそもターミネーターとは「終結させるもの」の意である。人間の世界を終結させるもの、すなわちそれがAIでありロボットなのかもしれない。
狭いところで自然を感じていたい。
わが参禅堂は、木造在来工法で建てます。きっと。
1/19もnoteを更新しました。→念水庵ノートへのリンク
眼のまえの壁
壁は自分がつくる妄想だと教えられてきた。
はたしてそうだろうか?
たしかに壁を感じることがある。
それは、エクササイズではないのか?
じっさい壁の前にたって壁に手をつくだけで手軽なエクササイズとなる。
頭のてっぺんから足元までが一直線になるように意識する。
キュッとお尻をすぼめ、力を入れず・・・
やってみるとわかるが意外とハードだ。
自分にとっての壁はエクササイズだ。
そう考えたほうが、じつは楽しかったりする。
運動不足は寿命を縮めるだけでなく思考さえ貶める。
信号で待たされたら足踏みでもすればいい。
眼の前の壁に、ひたすら挑む。
乗り越えようなどとは思わない。
ただ、そこにあるだけの壁に、
ただ、向かうだけ。悩んでいい。
今朝1/20、目を覚ますとちちぷい「B3」のサイトで今日の画像「壁」に「いいね」を沢山頂戴していました。ご覧いただいている方からの励ましに、B3爺さん嬉しくてうれしくて。ありがとうございます。
JAXA=宇宙航空研究開発機構の無人探査機「SLIM」が月面への着陸に成功したとのことです。ロケット打ち上げ失敗や延期が続いていた中で、やはり「壁」だなあと、チャレンジやないかと思っていましたが、やりましたね。おめでとうございます。ナニクソとがんばる。挑戦しつづける。そんなんムリやでといわれながらも、念水庵も「日本一小さな参禅堂」を建てます。やったるで!
1/20もnoteを7:00amに更新します。→念水庵ノートへのリンク
やっぱ水やね。
わが家を真上からみたらこうなります↑。参禅堂の平面図に方位を入れる必要があって、それでGoogleMapを限界まで拡大してコピーしたものです。前面道路(W=9m)がほぼ南東に位置してて、伐採したオニグルミの木との間に参禅堂を建てる予定です。よく見ると水みちが黒っぽくなってて、地形図は実際をよく反映してます。この水みちに今は池を掘ってあります。
1/17の朝、見積り用の設計図ができました。大工さんに見積を依頼しました。訂正すべきところは多々ありますが、まずは予算を決定してから予算内に納まるか見極めたいと思います。
夢は膨らみます。参禅のほか観音様をお祀りして、多目的に利用したいと思ってます。
日本一小さな「参禅堂」でしょう。たぶん。
お堂のまえには「念水庵」を象徴する琵琶湖を模した「池」があります。池のそばに紅梅とイチョウやもみじの木を植えたいとおもってます。
(1/21更新しました)
↑この絵写真のイメージで庭の池のまわりに石を積んで、上流からの沢水を小さな滝で池におとす方法などを田舎の仲間とああでもないこうでもないと構想してました。昨日1/20の日記はnoteに簡単にまとめました。ぜひウチのnoteもみてください。(できればスキもお願いします^^)
雪の想い出
雪には想い出が多すぎて、、、。
想い出のなかでも、この歌だけは永遠に残してくれ!
青春の悲しい想い出
煩悩といってしまえばそれまでですが、
人間には猿にはわからないつらい想い出があるんよ。
猿にも人間にはわからないつらい現実もあるだろうし、
それぞれにそれぞれのことがあってエエんよ実際。
とりわけつらかったのは、好きだったひとと別れたときのことです。
こればかりは、ここで書きたくないです。
ですから、書きませんが絵で表現しときます^^
絵に罪はありません(;_;)
人間には話せる話と話せない話の線引があります。
話したくなければ、話さなくていい。
だまってすわるだけで、自分がきいてくれる。
話そうとしなくても、だまって聞いてくれる自分がいます。
話せばわかる?
だれがわかるもんか、本当のじぶんのこころを。
すわればわかる。
わかればすわる。
・・・
薬師丸ひろ子さんの声もいいけど、宮本浩次さんのこの歌が刺さる夜でした。↓
田舎は雪だろう
1/24は雪でしょうか?
ふるさとに帰る道には、例年ですとだんだんと雪が深まって人気の途絶えていく過程があらわれます。ことしは暖冬のせいで、先週も先々週も雨でした。雨は雨で、山麓にかかる霧とか山間の集落の風情があるのですが、やはりこの時期ご当地は雪のイメージです。
こどものころは雪が好きではありませんでした。なにしろ色々と大変なんです。交通はもちろん、雪のけとか。雪合戦もきらいでした。当たると痛いから。かまくらは好きでしたが、雪だるまはきらいでした。溶けて消えるのがさみしかったからです。むかしからこれでも結構センチメンタルだったんです。
京都から車で一時間ぐらい。いずれは会社員をやめて二拠点生活(二重生活)から脱却するつもりですが、これはこれで変化があって楽しいんです。冬は車より電車のほうが安心ですが、車の便利さは手放せません。田舎に車は必需品です。都会に車は不用品かと。
ブログ毎日書くのって大変じゃない?ってよくいわれますが、脳トレには最適やと思ってます。物忘れとか最近の言葉が思い出せない症候群とか対策です。それと絵を描く(出す)のって脳刺激にもってこいのツールだと実感するようになりました。意図しないイメージっていうのでしょうか?図画の魅力は果てしない並木道のようです。
アリス谷村さんのご冥福をお祈りいたします。↓
愛称チンペイさん、74歳のお声を聴き凄いと思いました。安らかに・・・
故郷は、やはり大雪、でんしんぼ
今年一番の寒気が襲ってきて予想通りの大雪となりました。
京都でも雪が降っています。マキノはすごいことになってるでしょう。
帯状対流雲とかいう寒気の吹き出しで、集中攻撃を受けているようなものですかね?
何はともあれ、十分お気をつけください。
雪道は後ろのタイヤが横に滑るので滑った側にハンドルを切りつつコントロールしなければ、スリップ事故につながります。こんなことは雪国では常識ですが、雪道に慣れていないと車が横になって、道を塞いでいることがままあります。昨日も立ち往生の車が多かったでしょう。スタッドレス(スノータイヤ)を履いてないなんていうのはもってのほかです。だから言ったでしょってことに。
それはともかく、今どき「でんしんぼ」なんていうんでしょうか?電信柱のことですが、最近やたらと昔のフレーズが頭に浮かんできます。電線にスズメが三羽止まってた、なんて今の人は知らんでしょうね。こうした記憶は心理学的になんとかいうのですが、最近学んだことなどはすっかり忘れています。最近出会った人の名前や出来事、比較的最近観た映画のタイトル…、曲名、歌手や俳優。
健忘症とは違いますね。老人性・・・とかだったと思いますが、この老人という言葉、なんとかならないもんでしょうか?老人、高齢者が大変多くなってきたんで、仕方ないですが、自分はいつまでも若くないんだということは実感してます。誰かさんがいってました「老いるショック」だって。言い得て妙とはこのことです。オイルショックを知らん人の中では、雪道だけに滑るでしょうが。
↓わたしが唯一歌えるEnglishな歌^^
猫よ獅子となれ!
念水庵の第2水源(地下水ポンプ)には現在一対の獅子(ライオン)の石像があります。
普通は阿吽の像なのですが、どちらも阿形です。
よく狛犬といわれますが、狛犬は神社で、お寺にあるのも、じつは獅子なんです。
まあ、マーライオンですね、簡単に言えば笑。。。
この石像を今度の「参禅堂」の玄関前に置きたいと思ってます。
獅子吼といいまして、ライオンが吠えるように真実を伝えるということです。
阿吽を超えて「阿阿」です。漢字的には嗚呼の意味だとか。
嗚呼、ジャングル大帝レオのようにやさしい男になればよかった(グスン)
なつかしの「レオのうた」弘田三枝子さん。いい声で子供ながらにホレてました。
春来たりなば?
窪みや少し平らなところがあると、山からの水が流れ込んで池になります。こうした自然がつくる風景は、一般的な造園とくらべ格段に優れていると私は思っております。それを「自然造園」と称しておりますが、これを意図的に行うとなると、それはそれで高度な技術が必要です。なぜなら造園の常識を全否定しなければなりません。たとえば石や岩の向きなどがそうです。
岩や石が山から流れてきたときには、ものすごい水流のエネルギーなわけです。半端ありません。そうして止まった時に見事なバランス感覚でそこに在る状態となります。草や木や花も生物も皆そうです。それが自然であり、不自然ではありません。ですから、そこに元々在るように見せるというか配置ですね。そこが難しいと同時にめっちゃ楽しいわけです。
・・・
話は変わりますが、今日は仕事の合間に久々に3Dアプリを使って「参禅堂」の3Dモデルを作りました。意外と手間がかかりましたが、なんとなくイメージできると思いますので共有します。
どうですか?これはAIでは作れんでしょう。完全手作業です。工事も在来工法で手作りです。やはり人間が人間の空間を作るというのが原則ではないでしょうか?。大工さんは「トレーラーハウス的なものを置いたらどうか」とやわらかく牽制してくださいましたが、私は同じお金をかけるぐらいなら、やはり手作りを望みました。
価値というより、値打ちといったほうが分かりやすいかもです。損得じゃなしに、金儲けではなしに、人間が空間で時間を過ごすんです。坐禅という、時空を超えた、人間業です。手間はかかっても、いや手間がかかるからこそ、値打ちのある一世一代の「日本一小さな参禅堂」なのであります。
にしても、こりゃミニハウスとしか見えませんね。笑ってください^^
なんとしても建てます。参禅堂。
・・・
親友のオハコ。桑田が歌うと桑田のものになってる感(猫と軍艦島の写真に涙)でした。
早いもので正月も月末です。
今年は暖冬だといわれてましたが先週は大雪でマキノも30cm以上積もりました。
滋賀県ではとくに長浜や関ケ原が大変だったとのことです。
上の写真で青い重機の場所が、参禅堂の建築予定地です。
錆びたドラム缶の向こうが昨年末に掘った池で、そこに至る水みち(水路)がすっぽりと雪に覆われています。マキノ高原よりも高い位置にある現場は、むかしの別荘地です。
鉄板屋根は雪が自然に滑り落ちて構造耐力上いいのですが、落雪に注意と雪のけが大変です。
そこで、参禅堂の屋根は山裾にある水路へ雪が落ちるように設計しました。
春になれば着工です。
わたしは隷書が好きで、ネット上で書道の真似事をしてみました。
落款押す位置をちゃんと勉強しとけばよかったと思ってます。
除雪|お香|大相撲なんの関係もありません。
雪国では除雪が大きな作業です。
朝一番でそれぞれが自分の家の前の雪をのけます。
道路のほうは役所が除雪してくれます。
うちの場合は、県道は県がしてくれます。前面道路は私道なので本来は自分たちで行わなければなりませんが、住民票をおいてありますので生活道路ということで市がやってくださいます。
ありがたいことです。
雪をのけ のけては積もる ズクタンボ
(ズクタンボ:福井県敦賀の方言)
先週末1/27に京都駅の松栄堂(香老舗)さんで青磁の香炉を求めました。
この香炉の名前が「みゆき」でした^^
渦巻線香というのがありまして、芳輪「白河」というのですが、とても京都っぽい香りで気に入ってます。蓋ができますし、線香が倒れませんから、火災防止にはもってこいです。昔の政治家の家が火災に遭われたばかりですので、なるべく線香を立てないようにしたいと思ったからです。
閑話休題。昨日の大相撲千秋楽で宇良力士が伝え反りの決まり手で勝ちました。6勝9敗で負け越しましたが、かれの土俵はいつ見ても一所懸命で大好きです。来場所は三役に戻れるよう祈っております。と同時にあんまりムリすんなよと言ってあげたいとも思ってます。無理するでしょうが。
休場明けの横綱照ノ富士関の優勝インタビューが胸を打ちました。
「怪我は痛いだけですから」・・・唐突とした語り口のなかでの箴言であります。
心が折れないように努力したとの横綱の清々しい姿がそこにありました。
対戦した関脇琴ノ若の大関昇進も事実上決まった千秋楽の取組でした。
相撲には じれったいほどの 手汗かな
むかしの洋食屋さん
この箸の置き方、食べ始めて気づいて写メしたからです。
お坊さんは世間と逆で、箸の先を手前45度に向けます。
まぁ、細かい作法の話はさておき、はじめて入った近くのお店の日替わりです。
結構なボリュームでおなかいっぱいになりました。
とくにお味噌汁が美味しかったです。
マスターがコックさんの帽子かぶってて、奥さん?と思われる方が給仕してました。
ただそれだけですが、さいしょ右のお皿が出てこなかったので、エっ?これだけ?
そう思った自分が恥ずかしい。右がメインディッシュでした。
近所では行く店行く店が店じまいしていきます。
昨年末に中華料理屋さん、今年に入ってクリーニング屋さん。
どちらも結構なご年配でしたから致し方ありません。
(今日入ったお店もご年配でした)無常を感じる昨今です。
政治家も芸能人も年寄りは、引き際が肝心ですね。
わたしもセミリタイアを考える一年になりそうです。
老子いわくの「隠遁生活」です。
「魚を与えれば、一日食べていける。魚の取りかたを教えれば、一生食べていける」
↓役所広司さんの「PERFECT DAYS」この映画観たいです。
シンプルライフってのはこのことですね、老境というか。
1/31(水)今日は姫路
今日は出張です。夜は姫路の友人と食事会です。
帰ってから書きます。猫の絵写真でも見ててください^^
ノートPCのパッドが反応しなくなったため、iPadで打ってます。
おまけに電源充電コードをマキノに置いてきたみたいで、もう最アクです。
ということで、京都に帰ってから明日2/1の夜から再度アップし直します。
環境変わるともうめちゃくちゃな水でした。
すみません。おやすみなさい🌙
2/1ようやく京都に戻ってきました。
今から、2月モードにチェンジします。
1月はありがとうございました。
2月もよろしくお願いします。
↓note(ノート)は毎日更新中です。ぜひご覧ください。♡お願いします^^
ではまた明日っ!
True strength come from inside.