道元禅師の正法眼蔵に「山水経」という随筆がある。
山は自分のこと、水が真理という大意だ。
昨日は友人と二人で念願の裏山の擁壁の水抜き穴からの導水を行った。
擁壁の裏込めの砂利に浸透した澤水を池に引くためである。
山という自分を、水という真理が流していく。
そういうイメージをもつとわかりやすいかもしれない。
水量がおよそ倍になって、池への水みちは、さながら小川のようになった。
昨日の作務のなかで、この作業が一番有難かった。
朝食のあとで鉄板を張ってもらった。
足場板を渡した梯子の足場に上り下りするのが少々しんどかった。
背中のケンビキが張っているが、これは筋肉通であり、訓練だと思い込んでいる。
トレーニング、身体のことは即こころの「心トレ」なのだ。
筋トレなどという軽々しいものではない。
自身の健康のために筋トレするのは自己満足に過ぎない。
寺作りは、仏法の要、道場を作るのである。
自らの修行であると共に、仏法興隆の礎であり柱だ。
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