道心。

追坂峠 Uncategorized

正法眼蔵 道心』より抜粋

仏道を求むるには、まず、道心を先とすべし。
道心のありよう、知る人、まれなり。
明らかに、知れらん人に、問うべし。
世の人は、道心あり、と言えども、まことには、道心なき人、あり。
まことに、道心ありて、人に知られざる人、あり。
かくのごとく、有り、無し、知りがたし。

おおかた、愚かに、悪しき人の言葉を信ぜず、聞かざるなり。
また、我が心を先とせざれ。
仏の、説かせたまいたる、法を先とすべし。
よくよく、道心、あるべき、ようを夜、昼、常に、心にかけて、この世に、いかでか、まことの菩提、あらまし、と願い、祈るべし。
世の末には、まことある道心者、おおかた、無し。
しかあれども、しばらく、心を無常にかけて、世の、儚く、人の命の、危うき事を忘れざるべし。
我は、世の、儚き事を思う、と知らざるべし。
あい構えて、法を重くして、我が身、我が命をかろくすべし。
法のためには、身も、命も、惜しまざるべし。

現代語訳は次のようになります。


仏道を求めるには、まず「道心(仏道を求める純粋な心)」が必要です。しかし、この「道心」の本質を本当に理解している人は少ないのです。もし本当に知っている人がいるなら、その人に聞くべきです。

世間では、自分に道心があると言う人もいますが、実は道心がない場合もあります。また、道心があるのに周りに知られていない人もいます。このように、道心があるかないかは分かりにくいのです。

大切なのは、愚かで悪意ある人の言葉を信じたり聞いたりしないことです。そして、何より自分の考えや欲望を優先してはいけません。仏が説かれた教え(法)を優先することが大切です。心の中で常に、昼も夜も「どうすれば本当の悟りを得られるか」と願い求めるのです。

世が乱れる時代には、本当に道心を持った人はほとんどいません。しかし、しばらくでも無常の心を抱き、この世のはかなさや命の危うさを忘れないようにしましょう。たとえ自分がそうした世の儚さを思っていることを人に知らせる必要はありません。

法(仏の教え)を大切にし、自分の身や命を軽く見るべきです。法のためであれば、身や命を惜しむことなく捧げるのです。


道元禅師の言葉の趣旨は、仏道への真剣な思いを持ち続け、仏の教えを何よりも重んじ、自分の命でさえ惜しまない心構えを持つことの重要性を説いています。

南無、帰依、佛。
南無、帰依、法。
南無、帰依、僧。

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